世田谷パブリックシアター「春琴――谷崎潤一郎『春琴抄』『陰翳礼讃』より――」

 劇場に入ると、渋谷駅の喧騒の中にいる。

「1番線ドアがしまります」「シブヤー シブヤー」「駈け込まないでください」「シブヤー、ご乗車ありがとうございました」

 なに線の電車か聞き取ることもできないし、前後の関係もわからない。音の海を漂流する。

 それが止んで、静かなセリフが始まった。一人の俳優が、谷崎が『春琴抄』を書いた年に生まれたと語り始めたのだ。きちんと着込んだ洋服がするりと脱げて着物に変わる。介添え役が左右に廻ると俳優は突然盲人になり、年老いた佐吉として春琴のあしうらの小ささを愛しそうに問わず語りする。

 茶碗に注がれるお茶、樋を流れる水、みなひそやかな、しかしよって来たる所ははっきりした、やさしい音がする。佐吉とその女主人春琴の墓を谷崎らしき人が訪ねる。数本の棒であらわされる松。そして三味線の音色。モノラルの世界。そういえば春琴抄の語りは、一本の糸みたいではないか。演者の動く先に畳が繰り延べられ、ふすまの開けたては立てた棒を動かすことで表現される。ふすまの開く小さな鋭い音は、段々に、伝統を背負った古い家の重い溜息のようにも聞こえる。

 大阪の薬種問屋の娘春琴は、幼くして目を病み、盲目となった。丁稚の佐吉はその身の回りの世話をし、三味線で身を立てようとする春琴の弟子となる。命じ、命じられる関係の中に、不思議な、いびつな愛が生まれてくる。

 佐吉は選んで盲目となった。最後に俳優たちが壁の向こうの世界に去り、三味線が境界に挟まる。私たちは喧騒と狂乱の音の海に残された。これから先、「世界を選ぶ」とはどういうことなのだろう。三味線は陰翳を尊ぶ谷崎の世界、佐吉と春琴の愛を象徴している。