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加藤健一事務所『モリ―先生との火曜日』

モリー先生(加藤健一)がエッグサラダを膝に載せている。力の入らない指でスプーンをつかんで、サラダをすくおうとする。一回。二回。あきらめる。今度はサラダのカップを口元へ近づけようとする。無理だ。

 モリー先生は大学の社会学の教授だった。七十代のある日、自分がALS筋萎縮性側索硬化症)で、余命幾何もないのを知る。ニュースショーで取り上げられ、有名になった先生を、昔の教え子、ミッチ(加藤義宗)が訪ねてくる。ミッチはスポーツジャーナリストだ。本当はミュージシャンになりたかったのだが、断念した。先生と会話するうちに、ミッチはデトロイトから千キロ離れたボストンまで、人生について、死についての先生の講義を一対一で毎週受けに来ることになった。いかに死ぬかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶことだ。今のこの一瞬も、生と同時に、死を含んでいる。一瞬ずつが死に近づいていく。それを実感として感じている人は少ない、そうモリー先生は言うのだが、それはとりもなおさず先生自身のことだ。

  加藤健一は、みるみる衰えていって、小さくなる老人のように見えた。だが私が考えているのは冒頭に挙げたエッグサラダのシーンだ。顔を上げたミッチには平静な先生の姿しか目に入らない。そうなのだろうか。車で来た時に先生の視線をやり過ごしたように、彼は先生の仕草を見ていたのではないだろうか。こうしたことが重なって、ミッチは最後に先生に許しを請うように思う。

 加藤義宗は爽やかだった。1976年に加藤健一がテレビのホームドラマに出たとき、早すぎた「ひとり青年団」みたいな芝居で、でもとても爽やかだったのを思い出す。このままでいてほしいような、加藤健一のようになってほしいような、複雑な気持ちである。