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博多座『アマテラス』

客入れの音楽などはなし、劇場はざわめいているが、舞台を見ると幕前に大きな太鼓がこちら向きに置いてある。赤い照明が当たっていて、日輪のようにも見える。太鼓の中のアマテラス。

 無音というのは、音の一種だ。静まった太鼓には、つよい音や明るい音、「さばえなす」荒ぶる音などが入っている、という予感がある。そのせいかこの幕前の太鼓はすこし、こわい。

 アマテラス(坂東玉三郎)、ツクヨミスサノオ(石塚充)の三神は、イザナギの子として生まれる。アマテラスは高天が原を統べ、ツクヨミは夜の国を、そしてスサノオは海原をおさめるように命じられるが、スサノオはそれを拒む。姉の国に赴いたスサノオはここでも暴れに暴れ、アマテラスはスサノオをなだめるのだが、スサノオは静まらない。とうとうアマテラスは天の岩戸にこもってしまう。

 神々が一人寄り二人寄り、岩戸を開けさせようと音曲を奏でる。音がだんだんに大きくなり、最後にアメノウズメ(愛音羽麗)が登場して踊る。アマテラスはそれをそっとのぞく。岩戸は引き開けられ、世界はまた光に満ちる。

 アマテラスの堂々とした美しさと、鼓童の体を揺るがす太鼓との対比が素晴らしい。どちらも観客の視線をしっかりと受け止めたうえで、それを弾き返す力を持っている。アマテラスが腕を伸ばして架空の梭(ひ)を扱う繊細なしぐさに瞠目した。機(はた)が見えそうだった。

 太鼓を打つ人の体は、ただやみくもにトレーニングした体とは違う。太鼓を叩く細かい筋肉のひとつひとつが鍛えられている。身体に知性を感じる。賢い身体が太鼓を打つ。中心、端、ふち。振動する音、くぐもった音、高い音が響き、無音を聞き取る暇もなく、拍手が劇場を覆った。彼らが太鼓を打つ姿は「舞」のようであり、鼓童の演技は「舞」の一部として自然に受け止められる。その「舞」に迫力があるために、「踊り」が軽く感じられて、少し残念である。