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ハイバイ『月光のつゝしみ』

 点数の出ないピンボールマシンみたいな芝居である。経路に仕込まれたスイッチの上を、確かに球がとおっていくのに、手ごたえはみんな消えてしまう。たぶん、点数はすべて水面下でつく。しかしそれは見えない。

 新婚の、年の離れた夫婦、民夫(松井周)と若葉(上田遥)。その家に遊びに来た結婚予定の宮口(平原テツ)と牧子(永井若葉)。数日前から民夫の姉、直子(能島瑞穂)が同居している。これから五人で、鍋を囲むのだ。

 下手奥、低い階段を上がったところに大きな窓、台所、舞台中央にローテーブル、その背後に小さな戸棚、上手に向かって斜めにカーテンがつられている。なんだか平安時代の几帳のようだが、この奥に姉のスペースがある。

 この芝居は、ショーアップするとか、重要なセリフを区別する(セリフを立てる)とかいう考え方から、すこし遠い所にある。どのセリフも厳密に発語され、平等に時間をかけられる。けれんがない。どんなセリフに登場人物の本心が籠められているかわからないよ、というメッセージのように受け取れる。実験みたいに粛々と芝居は進行する。

 ところが、芝居全部のけれん、ショーアップを一点集中させたように、牧子の額のほくろがどんどん大きくなっていく。大きなほくろを持つ人を見ると、そこを見てはいけないと思うあまり、かえってほくろのことしか考えられなくなることがある。ここでも、牧子=ほくろに見える。牧子は妊娠している。牧子の体の中で育つもの、水面下のいろいろ――赤ん坊、嫉妬が、ほくろに姿を変えているわけだ。

 姉の直子は、ブランチを思い出させる。言葉を額面通りに受け取るところが、生き辛そうである。だから彼女はスノードームに故郷の思い出を閉じ込めている弟のところにやってきたのだろう。幕切れは美しい。生き辛さが月の光に溶けている。見えにくくなる。とりあえずそこはまるで、スノードームの中みたいだ。