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彩の国さいたま芸術劇場『ムサシ』

 川岸に立って、川の流れをいつまでも見ていると、不意に川が流れているかどうかわからなくなる。動いているのは岸の方のような気がする。木や草、地面と一緒に、結構な速さで流される。くらくらする。舞台の奥から竹林があらわれ、しずしずと手前に寄せてきて、まわりこみ、流れていった。どういう動きなのか、把握できない。めまいが来た。竹はゆっくりと動く。体が宙に浮いているような感覚。

 舞台の上下(かみしも)から建物が流れ着いて、鎌倉の宝蓮寺という寺になった。元和二年、武蔵(藤原竜也)と小次郎(溝端淳平)の果し合いから6年後、この寺で、昼夜を通して参禅する参籠禅が行われている。武蔵と、それから6年前に死んではいなかった小次郎がこの寺に来た。二人は参籠禅の後、三日後の果し合いを約して一触即発の状態である。それをあの手この手で諌める沢庵宗彭(六平直政)、柳生宗矩吉田鋼太郎)。寺のパトロンの木屋まい(白石加代子)、筆屋乙女(鈴木杏)、住持の平心(大石継太)を巻き込んで、話は意外な方へ、意外な方へところがっていく。

 終盤、武蔵と小次郎が刀を振るうシーンを目にすると、「強い」ということが、それ自体、どれほどたくさんの死――或いは敗者を抱え込んでいるかを考えてしまう。その一つ一つがそれぞれ、うごめく恨みを持つとすれば、報復は幾何級数的に大きくなる。殺さない理屈はさまざまにつくが、展開がユーモラスでどれも真率である。

殺すな、死ぬな、報復を断つのはむずかしいけれど可能なのだという井上ひさしの実にシンプルな、強いメッセージが伝わる。

 結末のシーンがとてもいい。流れるように人々が消えては現れる。やっぱりすこし、めまいがした。夢なのか本当なのか、見分けがつかなくなるのである。