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こまつ座『イーハトーボの劇列車』

 田舎者って、たとえば、おしゃれなカフェを全然知らない人?それともいろんなカフェを、知り尽くしてる人?あとの方じゃないの。田舎者のあこがれはいろんな形をとる。流行の中心を意識しすぎて、受容が度を越えたりする。宮澤賢治は田舎者だったと思う。エスペラント語やチェロ、ドイツ語にベートーヴェン、憧れたものは何でもやってみた。同じ田舎者として、ちょこっと身が竦む。あんまりあこがれが正直で、無防備だから。

 舞台には斜めにかしいだ大きな盆が乗っていて、かすれた原色で色が塗られている。場末のサーカスの褪めた原色を思わせる。その上に、何度も上京する賢治(井上芳雄)の汽車が載り、入院中の妹トシ(大和田美帆)のベッドが載り、宗教をめぐって激論する父(辻萬長)と賢治が載る。盆はくるくる回り、なんだか賢治は、どの局面でも縁にようやくつかまっているみたいに見える。いつでも旗色が悪いのだ。

 しかし宮澤賢治は、ただ振り回されているだけの人ではなかった。「田舎者」というのは、中心に、「都会」があるから成り立っている。もし、賢治が自分の立っているところに、理想郷を持とうとすれば、今度はそこが中心になる。こうして都会―田舎という対立軸は無力化されてしまう。

 一歩進んで井上ひさしは、田舎=農村もまた、個々に独立して中心を持とうと付け加える。それはつまり、一人一人の人間がそれぞれに、自分は世界の中心だと気付くことを含んでいる。ぐるぐる回る盆は、死んでいくものが、後につづく者に遺す「思い」でうごきつづけるのかもしれない。

 アフタートークで、稲垣未亡人(木野花)と賢治の父、賢治の三人のシーンの木野花は、まだ自分の仕上がりに納得していないといっていた。テンポの問題じゃないだろうか。蠅が全然見えないのだった。