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かぐや姫の物語

 なよ竹のかぐや姫。「わたしは月に帰らなければなりません。」泣いて泣いて、翁と媼にお別れする。小5のわたしはけっといった。気に入らん。「あんまり弱すぎると思います。」いやならいやと、「月のお迎えに説明すればいいと思います。」そういう情緒のない作文を書きました。

梅の花が咲き、木蓮が咲き、筍がとれ、あけびが口をあける里山の四季の中に、かぐや姫(声・朝倉あき)は置かれる。

 赤ん坊は体のバランスがとりづらい。もんどりうったり、縁先から落ちたり、生き生きとうごく。ひとの何倍かの速度で大きくなっていく姫を、アニメーションは描きわける。村の子を追うおぼつかない足取り、すばしこくなっていく身のこなし、最後は小さい子を支えてやれるようになった少女のしっかりした四肢が、手をのばした絵柄からはっきり感じ取れる。「たけのこ」とよばれるのにふさわしい、成長の喜び。

 都へ出て姫らしく行儀作法を仕込まれ、かぐや姫は体を見失っていく。成長の負の場面だ。眉を抜き、お歯黒で歯を隠し、重い着物を身にまとう。裳着の祝いの夜、戸をやぶり、一瞬のためらいもなく次々と着物を脱ぎ捨てながら、野原を一文字に駆けていく姫に、大人になることへの怒りがある。大きくなりたいなんて、だれにも頼んでない。5年生、月に7センチ背が伸びる。理不尽。「よわすぎるとおもいます」「せつめいすればいいとおもいます」では済まなくなっていく、自分の居場所への怒り。その爆発だ。女の子のこんな鋭い怒りのシーンって、珍しくないだろうか。素晴らしいシーンだった。夢だけど。理不尽のかなしみと、生きる喜びは、ともに体に帰ってくる。水車が巡るようにその上を時がめぐる。アニメーションなのに、アニメーションだから、身体のことをとても考えた。