博多座 二月博多座大歌舞伎

 定式幕が下手からざざざと開くと、舞台には屋敷と、山里を思わせる竹やぶがある。やぶに虎が出た。虎か。と思って虎をじっくりみていたら、あっと言う間にかき消える。虎は絵から抜け出してきた虎、この虎をかき消した画功で、又平(中村翫雀)の絵の相弟子修理之助(中村隼人)は苗字を許されるのである。又平は、貧乏だし、画功はないし、うまく言葉が出ない。「吃又」というのは聞いたことがあったけど、観るのは初めて。こんなに無口じゃ芝居が続かないじゃないのとちょっと思ったが、大丈夫だった。よくしゃべる女房おとく(中村扇雀)がついている。

 物見を言いつかって、花道にかしこまり、一生懸命目を凝らしているところに、又平のこころが出ている。大津絵のように素朴でユーモラスな景色だ。おとくはとても又平を庇っているのだが、あまり大津絵風ではない。芝居が生き死ににかかわる展開だからだろうか。最初の師匠への口上など、ほんのちょっと、大津絵の夫に対応するところがあってもいいと思った。

 『奴道成寺』、烏帽子をつけた能の白拍子(中村橋之助)は、全身が重くもやもやしている。深刻。烏帽子が脱げて、青い月代があらわれ、あっここ笑うところだったんだーと驚く。月代がぴかぴかなのだ。正体のばれた狂言師はなんだか機嫌がいい。時々鐘をみるけれど、体の節々に重たい思いがたまっているような『京鹿子娘道成寺』が鐘を「見込む」のにたいして、ここでは軽々と見遣る。明るく踊って真っ赤な衣装が翻る。「あっぱれ」な感じがした。

 『土屋主税』、「明日の明け方討ち入りします(怒)」って、つい言ってしまいそうである。そんな瀬戸際の日に、その本心も知らず、畜生呼ばわりされる大高源吾(中村錦之助)。罵られた途端体の表面の温度がすぅっと下がるみたいに見える。一幕で内側からじっくり見た大高源吾の無念が二幕で晴らされる。義士の真意を読み解く旗本土屋主税中村扇雀)。その目に映る大高源吾は颯爽としている。カタルシス。「よかったねぇ」と言いながら、すっきりうちに帰れる演目ばかりでした。