東京都美術館 『バルテュス展』

 ものすごく猫と遊ぶと、猫の姿かたちを、一瞬見失うことがある。猫のこころと、自分のこころが、対等になってしまうのだ。私が、「あんただれ?」と、思う。すると猫も、あんただれ、と思っている。一対一。そしてそのあと、相手が純粋無垢に自分本位の、自由な魂であることをひしひしと感じる。負けた気分。

 バルテュスは猫を愛していた。「猫たちの王」と名乗った自画像もある。11歳の時には、愛猫ミツがいなくなるまでの日々を、40枚の木版画に描いている。

 ふっくらした稚ない線。単純さの中に、工夫を凝らした背景。ミツを探すベッドの下や薪小屋、ローソクを持って見回る家の周辺、探しあぐねて出かけた町が、遠くに広がる空気感。ミツがいないというかなしみが伝わってくる。もしかしたら、画家によっては、一生かけてこの、11歳のバルテュスの境地を求める人もいるかもしれない。描くということの肝心な部分は、すでにこのとき達成されている。そして一冊の画集に姿を変えた、猫に対する愛の深さ。

 バルテュスの少女たちは、猫の精じゃないだろうか。猫の精だから、椅子にもたれてのけぞり、足をしどけなく折り曲げていても、どこか清潔な感じがする。ポーズのあられもなさを越えてくるものがある。それは「秘密」とも呼べないくらい無意識の所作であることからくる。猫が身づくろいするような無心さ、でも絶対に俗でない。

 「バルテュス展」には画室が再現され、画家のつかった灰皿の写真なども並ぶ。吸い口ぎりぎりまで煙草をふかしながら、アトリエの高い窓を見遣り、バルテュスは絵に落ちる光線の具合をみる。彼の仕事着は(とっても王様っぽい)絵の具で汚れている。彼は猫の精たちの上に自在に君臨して、絵を描き続ける。