シアターオーブ 『バベル BABEL[ WORDS] 』

 放射能に倒れた人の間を、すたすた歩いていくアトム。

 びっくりした。衝撃。

 「アトム、終わらないで!」毎週の放送時間が終わりかけると、ひよひよの3歳児の足で泣きながらテレビを蹴っていたアトム第一世代である。アトムがそんなことするわけないじゃないの。なにかの心理的境界、それを侵された感じ。

 今日観てきたのはシディ・ラルビ・シェルカウイ振付の『バベル』、2012年の、アトムの出てくる『TeZukA』に続く来日公演である。

 音楽は生演奏で打楽器が主体となり、大太鼓が打たれると心音のように舞台に響く。黄金比で作られているというメタル製の大きなフレームの立方体が大小合わせて五つ登場し、ダンサーが回転させたり、入れ子のように重ねることで、外と内を分け、塔を表わしたりもする。最初に現れた女性ダンサーの英語のセリフに字幕が出るが、見なくても、子音の響きが美しくて、世界で初めて話された言葉のようだった。世界には初め言葉はない。身体言語が流通する。しかし言葉の発生で領域が生まれ、境界が生じる。観念や哲学が現れ争いが起き、貧困が起きる。色んなことがダンスであらわされるが、それに劣らず、群唱やセリフが効果的に使われる。日本人ダンサー(上月一臣)の大阪弁のセリフなど、たった今目の前でなされた美しい仕草のように鮮やかな「いま」である。

 最終部、自分の右足と隣のダンサーの左足をつけあった横一列の人々がうごきをさざめくように伝えあう時、前作への疑問と怒りが氷解した。この人たちは、対岸の英語の王様椅子(人間玉座、これがものすごくよくできている)から、物を言っていたわけじゃなかった。すぐ隣で、(アトムのこと、悲しかった)と言っていたのだ。