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流山児☆事務所 創立30周年記念公演第一弾 『どんぶりの底』

 さ最前列。人見知りの心の蓋がゆっくり閉じるのを感じるくらい舞台に近い。近すぎる。最前列で芝居を観たのは何十年も前、状況劇場だったなあと思いだす。同時に、流山児祥の芝居を観たのも、そのくらい昔だ。深浦加奈子がめっちゃきれいで、炎の中を車が走りまわっていた。

 『どんぶりの底』見ながら既視感でいっぱい。その筈だ。この話はゴーリキーの『どん底』を基にしている。しかし、同じようでも全然違うことは、劇場に入ればすぐにわかる。

 開場した舞台セットの中に、人間(木暮拓矢)が組み込まれているのだ。登場人物たちが暮らす汚れた布一枚で戸を仕切ったボロ屋の壁を、上半身裸の男が支えている。暗がりに浮かぶ半身、地鳴りのような音がして、壁が細かく揺れる。男は時々長く息を吐く。プロメテウスのように繋がれているようでもあり、アトラスのように辛抱強くも見える。なぜみんなぶたいをみないんだあ!お喋りしたり、チラシを見たり、なぜできる。結局壁男は一時間くらいずーっと壁を支えているのだが、その間集中を切らすことはなかった。

 芝居の中に、現代生活から締め出されているものがたくさん登場する。立ちション、青痰、一度口に入れたご飯粒、その他。出てくる人々が世界から零れ落ちてしまっている、その境遇に復讐するようにえぐい。存在するのに、無いことにされているものたち。それは壁男も同じだ。この世界は、無いことにされているものたちによって支えられている。えぐいものの扱いに勢いが欲しい。アングラの最前列に座る私が求めていたのは、えぐいもの汚れたものが反転し輝く瞬間だったと思うけど。もっときつい時代になっているのか。とりあえず、壁男、よかったね。