二兎社公演 『鷗外の怪談』

 しげ(水崎綾女)が、帯の間から何やら取り出して服用する。(これが清心丹かー。)と感動が胸に来た。観潮楼の二階。廻り縁、洋書の本棚、来客用円卓。焼けてしまって今はないその家が、目の前にある。そこも感動。鷗外(金田明夫)は軍医総監、妻しげは三人目の子供がおなかにいる。母峰(大方斐紗子)も健在だ。舞台には現れないが、娘茉莉と杏奴の気配もある。

 大逆事件をめぐる半年間の、鷗外の心の揺れをたどる芝居だ。

 むずかしかった。私は結構な年で、瀬戸内寂聴幸徳秋水と菅野スガの小説とか尾崎士郎のとかかろうじて読んでいるが、それでもむずかしい。そして鷗外の家庭事情には中途半端に詳しいのだった。

 どこに焦点を当てながら観ればよいのか。賀古鶴所(若松武史)が鷗外の扱いに「手慣れている事」に感心したり、峰の気迫が、芝居がかっていることを超えて真剣であることに戦いたり、みどころはたくさんある。たぶん私には、劇中の大逆事件の荒唐無稽にたいする実感が足りない。そして、それによって針のようにひどく尖る同時代の知性がよく見えなかった。尖っているということがいろんなことを決定していくのに。息を詰めるようにして『沈黙の塔』を書きながら、失脚もせず、山縣有朋の秘密会議に出席する男。いまにもへしゃげそうな、ある「かのような」篭(観潮楼はある時点から篭めいて見える)の中から、呼びかける男。

 切支丹の拷問への恐怖は興味深かったけど、話が分散してしまう。エリスに絞ったほうがきっとすっきりした。

 客席には泣いている人もいた。全体に腑に落ちなかったのは、世代的な問題だったのだろうか。動きの少ない芝居なので、役者がどれくらい実感しながらセリフを言えるかがものすごく重要だと思った。