シアターコクーン 『キレイ  神様と待ち合わせした女』

 ピアノの調音の「ラ」の音が、大きな舞台の空気を割る。何か硬いもの、その向こうに『キレイ』の猥雑で、清冽な世界が広がっている。

 舞台上の誰も彼もが大声で、「生きてていいですか」と訊いてくる、と感じる。

 偽善者だけど生きてていいですか。

 目を開けたくないけど生きてていいですか。

 人間もどきだけど生きてていいですか。

 硬直した善悪の中で、棚上げされ、思考停止状態にされているものたち。とりわけ、ぐんにゃりしてるけど生きてていいですか、萎えているけど生きてていいですか、という低い真面目な声が、舞台の声に重なってどこからともなく聴こえる気がする。

 ケガレ(多部未華子)は7歳から10年間、監禁されていた。監禁の行われたのは日本。しかし100年にわたって三つの勢力の戦闘が続いている。ケガレは脱出して戦場の死体を片付けるキネコ(皆川猿時)やハリコナ(小池徹平)のカネコ一家の元に身を寄せる。ケガレと成長したケガレであるミソギ(松雪泰子)は恐らく「生きてていい」を取り戻すため、過去と未来を行き来しようと力を尽くす。

 芝居は四時間の長丁場だが、私は『大菩薩峠』を思い出していた。文庫で20巻を超える未完の長編で、全部読んでも主人公の人格(殺人鬼である)が多少安定したかな、位の小説だ。現代の『大菩薩峠』を書く人がいるのなら、きっと松尾スズキだと思ってきた。しかし、それはもう『キレイ』として書かれているのかもしれない。ちょっと短い。そして、戯曲を読んだ方が遥に細部に眼が届く。多部未華子の芝居が、ふっくらした頬のうぶ毛まで感じさせる。阿部サダヲの足が心配になった。