野田地図 『エッグ』

 予習のために『日本近代史』という、教科書とか読んだのである。カタストロフに向かってたくさんのひどいことが引き起こされる。軍部の専横。いいことばっかいうジャーナリズム。それに乗っかる大衆。「もー。なにやってんの。」と怒りながら、なにかふと後ろを振り返る。いま、「平成史」を読む誰かが、私に怒ってなかった?

 舞台を見るなり、もう息苦しい。背の高い倉庫のような壁が三方を囲む。手前に打ちこかされた大きな長方形の箱がいくつもある。目を凝らすと番号が振られ、それはロッカーである。ここは内側なのか外なのか。壁の中央にある錆びた扉を通って外に出る?それとも、中に入る?ロッカーは雑然と放り出されているが、いつの間にか、徐々に、静かに光を浴びる。忘れられた棺のように。

 来る東京オリンピックに参加する競技「エッグ」、扉の向こうの競技場では日本対中国の試合が始まる。エース粒来幸吉(仲村トオル)は、新人阿倍比羅夫妻夫木聡)と交代した。負けると踏んでいた粒来だが、案に相違して阿倍は勝ちをおさめる。粒来を愛する人気歌手苺イチエ(深津絵里)は手違いから阿倍と結婚することになる。不幸。と、これでは筋の説明にも何にもなっていないのであった。

 『エッグ』は二重の物語だ。というか二つの環を一点でつなぐ、奥の院を持つ8の字の物語なのだ。スポーツ「エッグ」をめぐる熱狂のロッカーを開けると、粒来の遺書を結節点として、中から国の美名のもとに行われた残虐な歴史が姿を現す。その歴史も一つの秘密のロッカーだ。

 車いすの阿倍と苺が語り合うラストシーンの無力感は美しくてつらい。彼らはいったいどこにいるのだろうか。内?外?この繊細なやり取りはロッカーの中のロッカーに閉じ込められている。歴史は入れ子だ。次の時代の火種はいつも前の時代の中にある。