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マームとジプシー 『カタチノチガウ』

 舞台は現実を三分の二ほどに縮小したミニチュアみたい。

 ホリゾントにドレープ、上手と下手に脚立、下手側奥にテーブルと三脚の木の椅子、その前におもちゃのピアノ、上手前に低いテーブルと木の椅子が一脚。低いテーブルにはドライフラワーがあり、鋳物の鍋と、芽の出た水栽培の鉢がいくつか載せられている。

 芝居が始まる。三人の姉妹がアクロバティックな動作をする。体を反らせ、丸まり、助け合いながら回転し、それを繰り返す。うすく柔らかそうな、襞を寄せたタブリエが、重みで引っ張られたり、頭の方へたぐまったりする。重力。不意に視線にさらされるしなやかな身体。これって重力に逆らいながら宙を舞う、密閉された球根の中の寓話だね、とか、ちょっと云ってみる。

 三人は複雑な間柄だ。長女イヅミ(青柳いづみ)と次女のサトコ(吉田聡子)は連れ子同士、そしていまのお父さんとお母さんの間に生まれた三女ユリコ(川崎ゆり子)。カタチノチガウ姉妹の間で軽やかに会話は進むが、この丘の上のお屋敷には重い秘密が詰まっていた。めまぐるしく揺れる衣装を見ていると、この三人は実は一人でもおかしくないとおもう。『カタチノチガウ』だけど。

 だが、姉妹は出てゆく娘、とどまる娘、復讐する娘へとカタチを露わにする。『小指の思い出』の子殺しの母親のことを思い出した。藤田貴大のカタチノチガウ娘(母になってしまった娘)が、カタチノチガウ子供に背負わせるものはものすごく重い。もう終末みたいな破綻が来ていて、生きてる実感は薄くて、重力はきつい。イヅミは煙っぽく、植物っぽく、重力から逃れる。それでも、彼女は(彼女たちは)子供を殺さないのだ。きっとこの殺さないということに、重力にあらがってかすかに浮きあがる気球のようなもの、球根の中に漂う季節の予感のようなものがあるのだろう。