博多座 『二月花形歌舞伎』

 歌舞伎に、『伽羅先代萩』というのがあって、めいぼくせんだいはぎ、っていうらしい。何でも、毒殺されそうな若君を、乳母(めのと)のまさおかという人が、わが子と引き換えに守る話。知っているのはそこまで。

 『伊達の十役』は『伽羅先代萩』からうまれた、同じ仙台伊達のお家騒動が題材の芝居だ。題名だけ残っていたのを、三代目猿之助が作り直したのだそうだ。狙われているのは、足利家の跡継ぎ鶴千代君。足利家と若君を守る善玉と、お家を乗っ取ろうとする悪玉が、入り乱れる正味四時間の大活劇。発端から最後まで、市川染五郎がずっと出る。いい者も悪者もする。あわせて十の役柄を演じる。その前には、自らパネルの前で人物関係を説明してくれる。始まったが最後、これ誰だっけなんて悠長にしてられないからだ。早替りが呼び物の芝居である。だがこの早替りは、そんな言葉では言い表せない。イルミネーションの電球を考えてほしい。灯っていた明かりが消えたかと思うと、ぽっと違う色の明かりがつく。あの感じ。あの速度。今舞台から去って行った染五郎が花道から鮮やかに現れる。衝立の右から入った人物が、左側では別人だ。すれ違いざま(としか思えない)役が入れ替わる場面さえある。すばやくて、ゴージャスだ。

 貴人の頼兼公から、美しい腰元累から、その姉さんの高尾大夫から、また悪人の仁木弾正、坊主の土手の道哲まで。めまぐるしく役が替わる。土手の道哲が面白かった。殺されそうになってもふてぶてしく、命を助けられてありがたくもなさそうに礼を言う時、稲村の向こうの幕の黒さが濃く深く感じられた。

 御殿の場面では、染五郎が政岡を演じる。すずめは忠、カラスは孝と鳴いてた昔の話だもん、政岡のきもちとかわからないかもね。と危惧していたのだが、そんなことはなかった。仁木弾正の妹八汐(市川右近)が息子を手にかける。はた目には静かな政岡だが、心の中では今にも動き出しそうな自分を懸命に止めているのが見えるのだ。心の底が、ひっそり溶けて穴があきそうになっている。八汐がふふとわらう、その一瞬前の顔が凄かった。稲光みたいな、こわい顔。うすい懐中鏡で、突き通した懐剣を、軽くはたいて見せるのが凄惨。洗練された凄惨。耐える政岡。子供を抱いてよくやったと褒めるのだが、それが人目もはばからない泣き声に聴こえる。と、染五郎は泣いてばかりいられない。床下で主家を守る荒獅子男之助に変わらなければ、悪の一味の連判状を奪った仁木弾正に変わらなければ、そして長袴を悠々とひいて、空高く逃げ去らなければ。変身のたびに驚きがある。見どころの多い、わかりやすい、目の離せない芝居だった。なにより、これを博多座に持ってきてくれた染五郎にありがとうといいたい。体に気を付けてね。