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シアターコクーン 『禁断の裸体』

 昔、映画の新作が公開されるときには、主演女優が「脱ぐ」のかどうかが、とても大切な話題だった。どの映画にも、たいていワンシーンは観客にサービスする裸のシーンがあった。裸体は、大衆にとって、禁忌であり、欲望でもあったのだ。ずいぶん事情が変わったなー。『禁断の裸体』では、登場人物たちは、思い切りよく身体を曝す。扇情的だったり、淫靡だったりすること以上のものを、その裸体は語る。本能の暴走のような情欲と、表裏一体の何だかわびしい感じがくっついているのだ。彼らは欲望に気も狂わんばかりになって下着を取る。しかしそのあと、そこには下着をつけるシーンも忍ばせてある。娼婦ジェニー(寺島しのぶ)が何をしてるのと愛人エルクラーノ(内野聖陽)に声をかけると、セックスを渋っていたはずの彼は、トランクス一枚の情けない姿になっている。

 セックスで人生が変わってしまう人々のありさまが、ものすごいアップと、ものすごい引きで交互に語られるのを見ているようだ。

 妻を病気で亡くしたエルクラーノには、三人の未婚の叔母(木野花池谷のぶえ宍戸美和公)と、母の死を嘆き悲しむ息子セルジーニョ野村周平)、家族を憎む弟パトリーシオ(池内博之)がある。パトリーシオの紹介でジェニーと付き合い始めたエルクラーノは、息子を長い旅に出そうと画策する。だが、事情をセルジーニョが知ったことで、物語は崩壊に向かって進み始める。

 人々はあっさりと裸になる。そのためにセックスの幻想が消えて面白くなるのだが、失われるものもある。それは虫歯の神経のように根深い、入り組んだ渇望だ。社会通念や宗教に抑圧された感じがもっとあるとよかった。聖と俗、血と純潔、欲望と禁欲がない交ぜになりテンションが高い。観終わって一週間たっても、目の前に彼らの運命がちらつくようなインパクトのある芝居だった。