新国立劇場 『海の夫人』

 「イプセンいいよね。」と、たぶん松井須磨子(1886-1919)だって言っていたに違いないのに、日常のおかざりの剥ぎとり方の容赦なさ、女に加担したものの見方など、イプセンには今でもびっくりだ。

 入り組んだフィヨルドの入江の村に、医師ヴァンゲル(村田雄浩)とその後妻エリーダ(麻実れい)が、二人の娘とともに住む。海から迷い込んできた人魚のように、エリーダはこの暮らしになじめないでいる。そこへ、十年前エリーダを強い魅力で虜にした謎めいた船員(眞島秀和)が訪ねてきた。嘘もかくしもなくただ「魅かれる」という関係を前にして、エリーダの生活と心は揺れ動く。

 古式ゆかしい求婚の花束が、破裂。『海の夫人』をみていると、そんな光景が目の裏をちらちらする。結婚って大変。ヴァンゲルの連れ子ボレッテ(太田緑ロランス)は、教師アーンホルム(大石継太)と結婚という取引をする。損得を考えて条件をのみ、エリーダの言う「売った買った」の関係になるのだ。もう一人の娘ヒルデ(山崎薫)は、「ぞくぞくするから」という理由で、長く生きられそうにない彫刻家の卵リングストラン(橋本淳)と婚約しかねない。お金とロマンス、現実の結婚がその奇妙な混淆であることが明らかになる。 

 夫婦間の緊張が高いのに、船員が現れるとそうでもないのかなと思ってしまう。船員の存在が具体的だからだろう。難しい所だ。

 エリーダはヴァンゲルが彼女を手放してくれたことで取引から、欲望や憧れから、自由になることができた。それは一瞬のことかもしれない。人々の取引は続き、憧れや欲望も消えることはない。求婚の花束は営々と手渡される。だがその一瞬の破裂と再生、それをイプセンは希望を込めて書きとめる。いいよね、イプセン