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DIC川村記念美術館 

 千葉佐倉のDIC川村美術館。その所蔵品の白眉、マーク・ロスコシーグラム壁画が7点飾られているロスコルームにいる。展示室の灯りは最小限に抑えられ、目が次第に慣れるまで、絵の詳細が分からない。

 はっきりいって、ものすごーく気軽な夏休み気分で佐倉まで来た。東京駅前から毎日9:55に直通バスが出ていて、それにほいっと飛び乗っただけ。川村美術館こんなにすごいって、誰も教えてくれなかったよ。だいたい、「感想をお書きください」と、各コーナーの隅に置いてある鉛筆(いっぽんきり、それもシブい)の入っているガラスのコップが、手吹きの爽やかなみどりいろで、とてもきれいなのであった。お茶席にはさらっと川合玉堂(たぶん)のカワセミの絵がかけてあり、外はうだるように暑いのに、中は頭がよく働くようにきゅっと冷やしてある。(ストールもってた方がいいと思う)。お抹茶をいただきながら窓の外を見ると、もったりした翡翠色の湾曲した池に、白鳥が泳いでいる。低く水をはく噴水。その水しぶきが水面でさざなみだってちらちらする。

 レンブラントから現代美術まで、いろんな絵がある。ルノアールカンディンスキージャクソン・ポロックフランク・ステラ。昔は自明だった「絵をかく」ということが、どんどん解体していくありさまを、じっくりみることができる。仮に背中にはねがはえていたとしても、「あ、ぶつかっちゃう」とかなしだよ。ひろびろだ。

 ロ ス コ

 検索するととても有名な抽象画家だったことがわかる。弾圧を逃れてアメリカへ。苦労して画家になった。

 空間の気配を吸い込んでいるような絵肌。自分の体温と同じに感じられてくるくすんだ赤。干渉しあうくらい赤とあかるい赤。暗い赤の上に、明るい赤で、四角が一つ描いてある。みているうちに「玄のまた玄 衆妙の門」っていうのをおもいだした。「有」といい、「無」といい、そのよって来たる所は同じってやつね。その奥深い所を「玄」という。もともと、黒くて赤みのあるものが玄なのらしい。昼間、目を閉じると見える暗がり、あれが、「玄」ってものじゃないかとあやふやに思っている自分です。ロスコの絵も、玄に見える。この絵を見ることは、この展示室に入ることまでひっくるめてひとつの静かなパフォーマンスであるような感じを受けた。絵葉書のように簡単には持ち帰れない何か。八月下旬からのロスコを扱った芝居『RED』、あれに行く方お運びください。川村美術館素敵です。レストランもあるよ。