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侯孝賢 『黒衣の刺客』

 話さなくても、いいんだー。

と、思わず感心してスクリーンに声かけしてしまうくらい、わずかな言葉ですべてを語る映像美なのだった。

 木陰にたたずむ二頭のラバ、その隣にいて遠く行列をうかがう二人の女。一人は白装の道士嘉信(シュー・ファンイー)、もう一人は黒衣のヒロイン隠娘(インニャン=スー・チー)。殺すべき人間が山の中腹を馬で駆ける。小さな剣をにぎった隠娘の身体が、飛び上がり、一閃する。きらめく陽。風。葉から葉へ伝い、枝をゆっくり揺らし、木々をうなだれさせては引き戻し、もんどりうって遠ざかっていく風だ。映画の中のいろんなシーンで風が吹いていて、それがもう、きれいなのさ。いろんなことをかんがえる。あの風は、世界の果てをふく、世界の巡りのようなものだったのかなあ。嘉信のもとに引き取られた隠娘は、刺客として育て上げられた。かつての許婚田李安(ティエン・ジィアン=チャン・チェン)を殺すよう命じられ、実家へ戻される隠娘。つらいよね。田李安と側室瑚姫(シェ・シンイン)が寝台で語らう時、画面には揺れる紗のような幕がかかり、二人の姿は幕にぼやけたり、はっとするほどはっきり見えたりする。ここでもやっぱり風が吹き、見ているこちらもその風にあおられたり、押されたりしているうちに、(おや)と思う。確かに観客の「わたし」の視線であったものが、いつの間にか変化する。風が変わるのだ。ここんとこがほんとに、いいようなく鮮やかだった。

 隠娘は、孤独だ。心の中をめぐる風が、ひとつひとつ、枝を渡って消えてゆく。しかし風はどこからか湧き出してくる、しみこんでくる。忽那汐里の着物の袖を握る手が、とても一心。そんなところから風が吹き込む、美しくって辛くって、縹渺とした映画でした。