木ノ下歌舞伎 『心中天の網島』

男をみがくといいながら生きる人たちがたくさん登場する近松の物語。何とかなった人たちはわき役に、情動に負けた人たちは主人公になる。

 ていうか、心中って、出処進退をきれいに、あざやかにしたいのに、そうできなかった人たちの一発逆転だったんだなあ。ほんとにこの世を生きるのは、平均台の上を、よろよろと歩くようなもの。その下には、死を手招きする川が流れている。

 大坂天満の紙屋の主人治兵衛(日高啓介)は、妻(おさん=伊東沙保)と子がある身なのに、小春(島田桃子)という遊女に嵌り、心中を誓い合ったりしている。妻子ある!どうする気。紙治(治兵衛のこと)、だめじゃん。でも、このダメさ加減が、まるで日頃の自分みたいに駄目なのだった。その場その場の感情に流される。小春の心が信じられない。おさんの血の出るような誠に泣きつつも、小春を思う。義母(西田夏奈子)には、遊びに行かない起請文を書くといいながら、治兵衛の貌には、その場から憧れ出て、小春のもとをさまよう心が絵のように浮き出る。だめだなあもうあんた。私かな。

 劇中歌が何曲も登場し、最初のうちはマイクもない強引な歌唱にびっくりしたりしているのだが、次第に慣れ、最後の「愛と死」では涙がわく。世界を埋め尽くす平均台の下を、水は流れて行って、愛と死を呑み込んでいる。私たちはみなその上で暮らす。駄目な私は水に流され、もう一人の私はその水をちょっぴり使ったりする。目から流したりするかもしれない。日常と非日常が、鮮明に、鮮烈につながっている。武谷公雄、歌舞伎調のせりふまわしや、バイオリンと義太夫の掛け合いが、おそろしくうまかった。