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シアターコクーン 『元禄港歌―千年の恋の森―』

 通俗って、みんなが知っていることを、たっぷりやることだと思う。『元禄港歌』、いい意味で、通俗的でした。

 播州の港の筑前屋という廻船問屋、そこに江戸の出店から5年ぶりに長男信助(段田安則)が帰ってくる。祝いの席に瞽女の一行が呼ばれ、瞽女糸栄(市川猿之助)が葛の葉子別れをうたう。その歌の中には、信助の心を疼かせるもの、呼び覚ますものがあった。

 物語の背骨となっているのは、みんなが知っている「親子の情」だ。登場人物たちはまだその因縁を知らなくても、セリフのあとの高まる音楽と、そのあいだの役者の表情から、観客は語られない秘密を、早々と察することになる。音楽が芝居に、水気を与えるようなのだ。

 はたり、はたりと椿が散る。そこが座敷であってもお堂であっても、椿は構わずおち続け、最初は柔らかに、夢のように散っていたものが、切迫した場面になると、鋭い直線を描いてはげしく落ちる。気のせいかなあ。でも、まるで避けられないさだめのようにも見えたのだ。ここは千年の森なのかも。

 筑前屋の女主人お浜(新橋耐子)は構わず椿を足でちょっと押しのけ、息子万次郎(高橋一生)は知らず押しつぶす。瞽女や念仏信徒たちが椿で、押しやられ圧殺されているようだった。そういえば、お浜が瞽女の歌春(鈴木杏)の髪を撫でつけてやってから、紙で櫛を拭くのだが、それがドキッとするほど差別的なのである。

 どの役もいいセリフを背負っている。ゆっくり、たっぷり芝居する通俗が、それを支える。哀しみに濁りがない。清潔な通俗だ。

 お浜の新橋耐子、冒頭でセリフを発すると、そこを中心にあらゆるものたちが集まってくるかんじ。まるで港みたいだよ。