赤坂ACTシアター 『ライ王のテラス』

 気づくと舞台に次々に人が現れ、鍛えた上腕二頭筋をちょっと見せて、笑いを取ったりしながら位置につく。

 筋肉に興味のあったためしなし、だからミシマがよくわからないのかも。舞台の壁が9分割され、うっすらとひしめき合う人々が浮き彫りになっているのを見ながら考える。

芝居が始まり、片方の足を体の前に曲げて置き、もう片方の足を後ろに投げ出して、カンボジアの人々が祭壇にお経をあげている。全然知らないような、懐かしいような、不思議な光景だ。二人の男(Khon Chan Sithyka, Khon Chansina)が、戦いの影絵をみせてくれる。影絵は布のスクリーンから飛び出して、男たちの擬斗になる。この擬斗がかっこいい。力や殺気が外に向けて発散されるのではなく、どういうのか、内側の重心に向けられている。舞だ。

 ジャヤ・ヴァルマン七世王(鈴木亮平)は戦に勝利して国に凱旋する。王の心象の奥に戦いの余燼があり、それは三島が敗戦で負ったトラウマにも遠く照応している。

 王は若く、美しい。女たちは彼を愛し、王が蛇神の塔に日々出入するのを憎む。貞淑と嫉妬が、どちらも王を苛む。王が美しい寺を作ると決めた日、王の腕には、「死」が現れた。死?いや、ここでは老・病・死などの「苦」の象徴だ。

 役者がセリフを発すると、「古い東京」が顔を出す。ちょっと惜しい。それが三島のせいだとしてもだ。

 だが後半、そんなことは消える。今見ているものこそが精妙でダイナミックなバイヨンの寺院なのだと思う。それは黄金色に光っていて、姿を消しても、いつまでも残像が舞台に残る。思えば舞台の柱の礎石は最初から朽ちていた。この芝居が、「一瞬の現在」に捧げられた供犠の夢だったような気がしてくる。