シアターコクーン 『8月の家族たち August:Osage County』

 開演前。薄暗い。堅牢に組み上げられた家のセット、二階建てだ。上手に書斎、中央にリビング、下手に食堂、その奥にキッチン。二階は上手が踊り場、下手は屋根裏のベッドルームだ。一階にはシャンデリアが下がっていて、クリスタルガラスの先に小さな緑の光が溜まっている。踊り場のスズラン型の灯りは、シャンデリアから顔をそむけているように見えた。

 遅かれ早かれ、家庭というものは皆消滅する。子供が巣立ち、父母が死ぬことで、家は役割を終え、記憶の中へと消えてゆくのだ。『8月の家族たち』はウェストン家のねじれたその顛末を、父の失踪を糸口として、観客を笑わせながら詳しく物語る。

 父ベバリー(村井國夫)が書斎のデスクの前に座り、お手伝いのジョナ(羽鳥名美子)を面接している。病妻を捨てたT・S・エリオットの話をしている。話しながら彼はグラスを置きあぐねる。まるで何かを決めかねているかのように。苛立つようにも、自信なさげにもみえる、その小刻みに揺れる膝。こうしたことが、全てストーリーに効いてくる。彼の失踪を受けて、娘たち家族と、妻バイオレット(麻実れい)の妹夫婦(犬山イヌコ木場勝己)が駆けつける。

 これは俳優にとってやりがいのある芝居だと思う。真相は終幕まで明らかにならないが、仕草や感情の爆発がいろんなことを伝えるからだ。バイオレットが金の話をするとき、一瞬、欲深そうな感じが裂け目のように覗いた方がいいような気がする。また、長女バーバラ(秋山菜津子)に対する愛憎半ばの執着がもっとほしい。これほどの母親(薬中毒で、恐ろしく勘がよく、貧しい育ちで、母親に痛めつけられてきた女)を持ちながら、アイビー(常盤貴子)とカレン(音月桂)には個々の性格が足りない。バーバラが愛情を脱ぎ捨てたように見えるのが鮮やかだった。