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中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露 六月博多座大歌舞伎

『双蝶々曲輪日記 引窓』 

「引窓」ってなんだ。『双蝶々曲輪日記』読んだけど、頭の中でそこんところがあいまいだった。どうしても、丸い、明かりとりの、「虫籠窓」を思い浮かべてしまうんだよね。「蝶々」のせいだ。

 実際に舞台を見ると、瓦のない屋根に、綱でスライドさせて開け閉めする板の窓。この窓の明かりで、二階にいる濡髪長五郎(市川左團次)の姿が、手水鉢に映るのだ。

 角力取長五郎は、恩ある人のために殺人を犯し、追手のかかる身の上になっている。子供のころに養子に出されたのだが、その生みの母お幸(坂東竹三郎)にそっと別れを告げようと、京都八幡の南与兵衛(片岡仁左衛門)の家を訪ねたのだった。

 舞台に現れる与兵衛の妻お早(片岡孝太郎)が、かわいい。おさえてもおさえても笑顔になりかけてしまう感じなのだ。若い女房の、地味な着物の袂のふりが赤いのが、それを表しているようでもある。やっと結婚できたんだもんねー。廓言葉(もとは浮瀬の遊女だから)がつい出て、姑のお幸に注意されても、ちっとも角が立たず、幸せだね。

 長五郎は御影石のように大きくてどっしりしている。でも人を殺めたという気持ちが心を掠める。目を閉じるとつらそうだ。お早の差し出す茶碗が小さく見え、それを受け取るぱっと開いた手は写楽の絵そのままに、すこし反っている。あれデフォルメじゃなかったんだなあ。右足を踏むときは右に重心、左足を踏むときは左に重心、ゆっさゆっさと体を揺らして二階へあがってゆく。

 そこに帰ってくる主与兵衛。お役目で殺人犯を見つけ出さなくてはならない。芝居が撚った縄みたいになっている。色里でよく遊んでいた軽さ、出世を喜ぶ無邪気、長五郎を助ける侠気、なさぬ仲の母を思いやる優しさ。でも一番すごいと思ったのは、仁左衛門がセリフをよく「聞いている」というところだ。「腑に落ちる」までよく聴いたり、反射で答えたりするけれど、どのセリフも与兵衛の胸を通過している。

 お幸が長五郎を諭すと、長五郎の御影石の肩が、セリフを受けて水を吸い込んだような気がした。皆がそこへばらばらとこぼす涙が、見えるようなのだ。年いったお幸が座敷を去る後姿は、膝が曲がり、肩が丸まっている。しかし、年寄ぶって「曲げて」いるのではない、このひとは年寄りだから「伸びない」のだと思った。

 時刻はまだ夜なのに、与兵衛は夜明けだと言い切って長五郎を逃がす。かっこいい。なんていい話なんだ。

 

『本朝二十四孝 十種香』

 誰にもかかる、しがらみの糸。八重垣姫(中村雀右衛門)には「お姫様」「謙信の娘」というしがらみがある。そのしがらみにひっぱられながら、八重垣姫は恋しい勝頼(尾上菊五郎)に走り寄る。糸は恋の強さに見えなくなったり、またはっきりとあらわれて姫を制したりする。

 舞台に背を向け、勝頼の絵姿を回向している姫。心が絵姿の方に吸い取られたようになっている。赤い、金糸の光る美しいうちかけ。反対の下手にいる腰元濡衣(中村時蔵)は黒い着物、黒に白い顔が映えるが、その白さは沈むような白。これに対して八重垣姫の顔は、若さを放射しているようなヴァイタルな白なのだ。その声は細く高い「おひめさまの声」だけど、一色でない。三味線の音に通じる、器楽的な音色だ。動転したり喜んだり悲嘆にくれたり、様々に変化する。泣き声の始まりと終わりが、白い紙にナイフですっと傷をつけたように細く美しい。

 『本朝二十四孝』は複雑な筋だが、八重垣姫は恋する一途な娘、死んだ許婚そっくりの蓑作(尾上菊五郎)=実は生きていた恋人勝頼にむかって恋しさを打ち明ける。

 いろいろのしがらみは八重垣姫一人が背負っているわけではない。濡衣と八重垣姫を哀れに思いながらも、人違いだと言い切る勝頼。冷静に正面を見るその顔に、彼には明かされぬ別の世界があり、それがあるからこそ、一層素敵に見えちゃうよなあと思うのである。濡衣だって恋人を亡くして悲しみに暮れているけれど、一方で家宝の探索という密命も負っている。しがらみだらけ。

 八重垣姫は蓑作(実は勝頼)を一目見て動揺するが、絵姿に手を合わせて必死に冷静になろうとする。しかし、ついに数珠を落として勝頼に駆け寄る。感情の滑走路が十分に描かれているなあ。袖をいつも見せているところが、娘らしく、心持がそこに表れている感じがする。恋のために地上から足が離れていく。きっと立っていられないくらいの惑乱、激情だ。濡衣に取り持ちを頼む。好きなのだ。目の前の勝頼しか見えない。去らせたくない。人違いだといわれて死のうとするところ、あの、恥ずかしさのあまり死んでしまいたいと思うお姫様らしい娘心がよくわかる。女の人はみんなそうだよね。死ななくておばさんになるけれど。

 とうとう、勝頼が正体を明かす。姫の喜色がとても上品。よかったね。

 と、この喜びが急に断ち切られ、謙信(市川左團次)が登場する。勝頼に用を言いつけて去らせた後、二人の家中の者を呼び、討手をかける。この侍、白須賀六郎(尾上菊之助)と原小文治(尾上松緑)が、若くて、体が柔らかそうで、強そうなのだ。だいじょうぶかなあ、勝頼。勝頼を殺すと聞いて泣きいる八重垣姫。やっと会えたのに。詮議されそうな濡衣。つづきがしんぱい。(ハッピーエンドです。)

 この演目の前に、中村芝雀丈が雀右衛門という名を襲うに当たっての口上があった。「雀右衛門」は、とても大きな名前らしい。

 左團次さんが、「わたくしと雀右衛門さんはワンちゃん友達で」といったので、心の中の「かわいい」の函があきました。「四代目 市川左團次オフィシャルブログ」をみれば、この方々がどれだけ犬をかわいがっているかよく解ります。雀右衛門丈のほかの役も、もっと観てみたいです。

 

『女伊達』

 「よしあしの喧嘩の後の仲直り すまぬ出入の達引きを さらりと私に下さんせ」

 刀を差し、黒地に菊の花のついた着物に、博多の薄い朱の帯をかわいい大きな蝶結びにした娘。蝶結びのわきから、尺八がのぞいている。あわい水色の襟元にやる手が優しく、柔らかいしながある。しかしこの娘は男勝りの女伊達、木崎のお菊(尾上菊之助)で、淀川の千蔵(坂東亀三郎)、中之島鳴平(坂東亀寿)と喧嘩しているのである。

 観ているうちにだんだん、社会学上野千鶴子のことばを、いくつもいくつも思い出すのであった。

 

 相手にとどめを刺しちゃいけません。…あなたは、とどめを刺すやり方を覚えるのではなく、相手をもてあそぶやり方をおぼえて帰りなさい。 (『上野千鶴子のサバイバル語録』文芸春秋

 

 んー、まさにこれ。尺八を男の頭上にかざしてくるくる回すと、みなきりきり舞いして倒れていく。かかってくる若いものが、次々にトンボを切って舞台から消える。だがお菊はなんだか微笑んでいる。晴ればれしている。後ろから青空がのぞくような。「争う」という概念が、男伊達とお菊とでは、全然違うのだ。柔媚でありながら、負けない。気が付いたら、勝っている。縁台や傘が持ち出されて争いは続くが、お菊にかかると、剣呑な武闘道具としての縁台や傘のイメージが、やさしく、華やかに変わってしまう。勉強になりました。