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テアトル新宿 『ふきげんな過去』

 未来、過去、未来、過去、未来、過去。

 ぐるぐるかき混ぜているうちに、過去の自分と未来の自分がごっちゃになる。たとえば18歳と45歳と、ついでに10歳の自分。何が起きるかなあ。まず、「こつこつやる」ってことの価値を巡る、激しい諍いだな。45歳はこつこつやるしか道はないって知ってるけど、10歳はこつこつやれず、18歳はこつこつにがっかりしてるからなあ。

 18歳の果子(二階堂ふみ)と、突然現れた45歳の果子の伯母未来子(小泉今日子)は、同一人物じゃないが強く争うシーンがある。何行もかけて、未来子が人とその欲望と孤独について語る。このセリフは多少浮き気味だが、不思議なことに、小泉今日子の顔の下から、数々の美しい女――昭和初期の、明治の、江戸時代の――の化粧気のない素顔が、次々に立ちのぼってくるように見える。果子が反発するのは、未来子の持ってきた摂理らしいものというより、歴史でもあるような見えない過去なのだという気がした。

 「わたしを丸め込むな!」

 18歳のその怒りごもっともである。このセリフにとてもシンパシー。自分の中のひと匙の18歳だ。セットも衣裳も違和感なくすんなり受け取れる美しさ(これみよがしなところがない)なのに、ここんとこの擬闘がうまくない。エネルギーがちゃんと蓄積していないような、爆発にすんなり繋がんないような。

 観ているうちにこれは、果子の未来の話なのか、未来子の過去の話なのかが入り混じってくる。それがとてもいい感じなのだ。次のしゃくったスプーンに、載っている味がわからない。とっぴなのか、ふつうなのか。過去なのか、未来なのか。だからたぶん最後に、あの冒頭で憎むような眼をしていたふきげんな果子は、あんな顔をしたんじゃないかなあ。