劇団チョコレートケーキ 第27回公演 『治天ノ君』

 万世橋にあった交通博物館で、「お召列車」というのを見たことがある。木のベンチが据えられた殺風景な三等車両が、「こんなもんでいいや」という投げたような質実さだったのも悲しかったが、お召列車の総絹張りや装飾の漆塗りや金細工は、「かならずこんなものが似合うひとであってくれよ」という、時代の強い要請が感じられ、それもやっぱり、悲しかったのであった。投げられるのも期待されるのも、つらいものだよね。

 劇団チョコレートケーキの『治天ノ君』は病弱であったと伝えられる大正天皇に光を当てる。舞台には下手奥に天蓋つきの玉座が設えられていて、背と座面は輝くように赤い。背もたれの真ん中に金の菊の紋章が刻され、目のように見える。暗い舞台には押し殺した叫びのような重い低音のノイズが聞こえ、ふと消える。明るくなると、玉座から上手手前に向かって斜めに赤い絨毯が敷かれている。ドレスを着た女(貞明皇后節子=松本紀保)のしっかりした介添えを受けて、よろけながら玉座に向かう男(大正天皇嘉仁=西尾友樹)。嘉仁の言葉は不鮮明で、体は思い通りに動かない。不自由な身体に囚われている若い魂そのものに見える。彼の身体を不自由にしているのは、実はきっと父からと息子からとに二重にかけられた枷のせいなのだ。皇室に明治の栄光を再びと願う人たち。しかし嘉仁は国中が飲まず食わずで頑張った明治のようにではなく、「ゆっくりやってもよいのでは」と考える。彼の考えは前代と後代に否定され、圧倒され、消去されるが、それでもなお嘉仁はミカドたらんとする彼の努力を止めない。玉座とその天蓋は、いつの間にか人々を飲む巨大な生き物のように見えた。すこし飛躍があってもいいと感じたが、緩みなく、一言ずつを刻みながら進んでいく芝居だった。