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かぐらざかあかぎ寄席NEXT→ 落語「三遊亭萬橘」独演会

 神楽坂、赤城神社。迷いようがない。地下鉄東西線神楽坂駅1番出口を上がって左すぐ。立て看板もたってるし、赤い鳥居も見える。石段を上がりきったところに、大きなガラス窓のカフェもあるのだった。カフェから窓越しにもうつぼみを持った桜の木、蛍雪天神という社、その背後に暮れていく空が見える。えー、すてき。これからここの地下ホールで、落語聴く。「三遊亭萬橘」独演会、開口一番はこないだみたまん坊さんだ。高座に上がるまん坊さんの頭上に、高気圧みたいに上に向かってのぼっていく気流が見える気がする。だめだよー、あがったら、と胸の内で思うのだが、まん坊さんはあがってないみたいに(あがってなかったのかも)きっちり話をするのだった。話は『雛鍔』。

 植木職人のお父さんが、出入りの屋敷の八歳の若様が穴開き銭を知らずに「お雛様の刀の鍔か」と言ったのに感心し、自分の家の金坊も同じようにしつけようと思いつく話。話者によって向きが違うのを(上下切るっていうんですか)まん坊さんが習ったとおり着実にやるのを感心してながめる。植木職人がかみさん(?書いててちょっと恥ずかしい)に羊羹出せというところは、お客さんの前なのでちょっと小声なんじゃないのかなと思いました。うちの子にはおつきの人なんかいないからオアシが遊ばせてくれるんだというおかみさんの道理に納得し、日本伝統の放任主義に感じ入るのだった。

 さて、萬橘さんの登場だ。4月15日の法政OBの落語家の会の話や徳島の結婚式の話やなにやかや。

 粋な黒塀見越しの松、っていうとそれはお妾さんのおうち、と始まる噺は『転宅』。お妾さんに旦那が預けて行った大金を狙って座敷に上がりこんだ泥棒が、お妾さんの舌先三寸でまるめられ、散々な目にあう。好きだなこの話。頭の中で座敷に座る泥棒の、上の方に突き出された煙管の先だけがまず見え、お妾さんのすこしだけ慄えるような心持が伝わってくる。お妾さんがきれいな女なのかどうか、萬橘さんがそこはあまりつくらないのでわからないけど、聡い女なのは確か、うまく泥棒をのせていき、一緒になろうと持ちかけるところもおかしくて、色仕掛けって感じが全然せず、おもしろい。この人たち(って萬橘さんが一人でやっているわけだが)丁々発止でやりあっているみたいでいて、すこぉし、オフビートなのだ。すこしずつ野放図。配線コードの根元からわずかにむき出しの銅線がのぞいているみたいだ。それが萬橘さんの持ち味なのかな。カラスかあと鳴いて朝になりました。という決まり文句(?)も、シンプルな味があってよかった。

 2つ目の話が始まる前に、萬橘さんがザリガニ釣りの話をする。ザリガニが釣りあげられる姿を何気なく座布団の上で伸びあがってやってくれたのだが、その「ザリガニ感」、実際にザリガニ釣りしたひとにしか出せないリアリティだった。自分のザリガニ釣りの思い出も、急激に戻ってきました。

 落語は『らくだ』で、らくだっていうのは話の最初からもう死んでいる乱暴者だ。このらくだに丁の目の半次(当て字です)という兄貴分がいて、長屋の連中を脅してらくだの葬式を出そうとする。この半次にいいように使われるのが偶然らくだの死んでいるのを見つけた屑屋の男。らくだの死体をしょわされて、中国渡りのおどりかんかんのうを踊らされたり、ひどい展開である。いつも上目づかいで腰が低く、おずおずとしている男だが、半次にむりやり酒を飲まされて人格が豹変する。

 らくだは死んでいて、死んでいない。そこがおもしろい。兄貴分の荒いもの言い、死んだと知った長屋の連中の喜びようから少しずつ、少しずつ、死人がよみがえってくるようだ。死人の瞼がぴくぴくするのが見える気がする。最後には屑屋の中かららくだがまた生まれてくる。「いい酒だね。」と屑屋が心からいうと、なんだか萬橘さんがいつも(落語でだけど)いいお酒飲んでるみたいで、(いいなあ。)と思うのだった。屑屋が素面でびくびくしているところから、断りながら酒を飲んで2杯目まではよかったが3杯目に人が変わるところが鮮やか。煮しめを食べるのも、実においしそうでした。