新ロイヤル大衆舎 『王将 第三部』

 本筋の運びとはあまり関係ないような、「なごやかさ」を出すくだり、お茶だと思っていたものが違っていた、という、空々しい段取りと笑いになりかねないくだり、これ、北条秀司のオリジナルだろうか、腕利きの俳優たちの手にかかって、まるで今生まれてきたような間合いと味、押し寄せてきた波の泡みたいにふちっと今現れて今消えてゆく新鮮さ。これを見られたのは、とてもよかった。明治の漱石の冗談で大笑いした時のように震撼したのでした。

 第三部の主題は、「老いをどう受け入れるか」というものだった。田んぼに力と書くように、力なしでは、特に昔の男の人は、へなへなになってしまう。日常生活に心理的な基盤がないからね。

 まず将棋を研究する上で片腕だった愛弟子松島をなくし、かわいがっている次女君子(森田涼花)にも恋人ができる。徐々に力を失っていく三吉、木村名人(古河耕史)に勝った弟子森川(大東駿介)には嫉妬のあまりひどいことを言う。しかし、ひどいことを言っても、三吉のキャラクターは素敵に作ってあって、あんなに怒っていた君子に対しても、お父さんが婚家先についてゆくと折れて出るし、森川にもあやまる。木村名人の前で号泣すると可哀そうでたまらなくなる。「階段を下りる」というのは、本当に難しいものだ。福田転球は折れるところがとてもチャーミングだった。大東駿介棋譜を読み上げる時小さく座っているところが真面目らしくとてもよかったが(二部)、奥手な男の人はそんなに好きな人の顔は見ないと思うよ。大堀こういちの語りの三吉のところは、もう一人の三吉ぽくていい。

第一部の「御大」は「おんたい」、第三部の「水漬く屍」は「みづくかばね」、「こうっと」は、わざとでなければ小さい促音の「っ」だと思います。ええっと、みたいな感じね。わざとかな。