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東京国立博物館 特別展『茶の湯』

 茶筅とお茶碗持っている。お茶を習ったこともなく、お点前なんて知らないけど、お抹茶が好きなのだ。手前勝手に、(お抹茶のひとり分の量がわからない…。)ってところから、ひとり試行錯誤で、おいしかったり、おいしくなかったり。最近はネットにお茶の立て方(お点前でなく)も出ているし、不自由しない。

 お茶をやってる人に聞くと、お点前は最も美しい、最もシンプルな手順になってるんだそうだ。「一人抹茶」と「茶道」の違うところは、所作の美しさと、「ここでない場所へ出る」精神性だと思う。

 油滴天目の美しい文様や、井戸茶碗の貫入の風景が、お茶を飲み干そうとする目にぐーっと近寄ってきて、お茶を飲む人に何か言うんだろうね。禅語のお軸もかかってて。

 東京国立博物館の特別展『茶の湯』は、室町時代に将軍家が好んだ中国渡りの「唐物」の茶から、珠光-紹鷗を経由して利休が大成するわび茶、それを古田織部や細川三斎が継承し、江戸時代の松平不昧公へと伝わり、近代の茶人たちにつながってゆくまでを概観したものでした。

 なんにもわかってない私が面白かったのは、名物につけられた銘だった。利休が小さい塩壺(たぶん)を香炉につかい、「此世(このよ)」と名前を付けている。控えめな、見逃してしまいそうな壺に、和泉式部(あらざらむこの世のほかの思い出にいまひとたびの逢うこともがな)のかなしいつぶやきのような歌からとった、大きい名前がついているのだ。それって自分の思い出なのかなあ。匠気と誤解されそうな気がする。秀吉に殺されそうな気がする。あと手放すのがつらくてつらくて、「生爪をはがすよう」だったという古田織部の花入「生爪」とか。寸胴の真ん中が、織部っぽくへこんだ花入れだ。名前が強烈すぎて品物自体がはっきり見えない。「茄子」とか「白鷺」とかの具体的だった名前が、江戸になり橋姫だの布引だの古典っぽい名前に変わっていく。時代だよねと思いながら、荒れた世界に静謐な空気を求める、戦国のお茶の方が面白いと感じるのを止められなかったのだった。