一周忌追悼企画 蜷川幸雄シアター 『身毒丸 復活』

 少し緩い白いズック。少年(しんとく=藤原竜也)の足の指は、その中で地面や現実につかないよう、固く縮こまっている、とおもう。目に痛いような白いシャツ、母のない子らしく伸びた髪、つーんとまっすぐな鼻梁、すくめたほそい肩。腰高に黒いズボンを引き上げて穿き、その不格好さは成長し始めた少年そのものだ。

 雨のように降るグラインダーの火花。汽車の汽笛。暗がりの中、紙芝居屋の紙芝居が荷台で光り、カブのテールランプはぼんやり明るむ。キツネの面をつけた花嫁御寮、たばこの自販機をリヤカーで牽く男。仮面の屋台もある。これらが舞台の上に不意に現れるのだが、カメラのせいか、私には皆静かに行列しているように見えたのだ。

 おとうさん(品川徹)が、あたらしいおかあさん(白石加代子)を「母を売る店」で買い、それにつれ子もついてくる。家へと向かう家族は父を先頭に行列する。家庭内の序列、「家」みたい。

 しんとくは成長しているのだけれど、それを周囲に気取らせない。いつまでも少年でいたかったしんとくは、亡くなった母を恋う。睫毛を濡らす哀しみ、「おかあさんにあいたい。」その恋しさは「母」への憎しみまで内包した複雑さを持っている。知らぬ間に少年の足はきっと成長している。今度は小さすぎるズックのなかで、足の指を窮屈に縮こまらせているのだ。少年の、足の裏の狭い、固い感じを、藤原竜也が好演する。カメラで見て、こんなにいい芝居をしているのかと驚いてしまうほどだ。白石加代子は母を大きく演じて清潔で、怖くて、怖すぎない。「撫子」という娘、女の存在を感じさせる。行列は崩れ、しんとくと撫子は並んで消えてゆく。終わりのモブシーンも、行列ではなく、ゆっくり舞い上がった混沌に感じられたのだった。