天王洲銀河劇場 『遠い夏のゴッホ』

 「胸が大きくなりませんように、これ以上おとなになりませんように」と、毎晩うつ伏せで寝ていた子供だったので、惑星ピスタチオの『熱闘!飛龍小学校』を観た時は、むっとしていた。大きくなる子が悪者。そういう扱い?だって成長って、みんなに降りかかるんだよ。

 と、思ってから20年、『遠い夏のゴッホ』で西田シャトナーは、また成長と変化を扱う。劇場に入って舞台の明かりを見て、(おや?)となった。舞台面から見上げる光と、天井から地上を見下ろす光が、斜めにスモークを照らし、筋状に交錯して美しい。これ、視点が複眼化したことを示しているのでは。成長しちゃってるよ。

 虫たちの、生まれて生きて死ぬめぐりと、その中のあがきや喜怒哀楽。蝉の幼虫ゴッホ(安西慎太郎)は、恋人ベアトリーチェ(山下聖菜)より一年早く羽化してしまう。ベアトリーチェに会うため、ゴッホは何としても冬を越さなければならない。

 最初に赤いTシャツを着た人々が現れ、蟻だと名乗ってもピンと来ないのだが、舞台に葉っぱの乗り物のように設えられた大きなセットが、バッタの頭だと教えられると、とつぜん、全員ちっちゃいよく働くアリにみえてきた。

 ゴッホは「めぐり」や「時間」に抵抗するが、ファンタジーとして昇華されているので、無理矢理感はない。群唱がきれいで、風や星を表わす身振りもいい。セリフの間に擬斗や登退場が多く、話が緊密でなくなり、芝居の見せ場が薄くなる。パンフレットの表紙がかっこよく、ゴッホの頑張りを一瞬で表わしている。このようなシーンが、芝居の中にもあればよかったのに。ベアトリーチェ、「チュー」というセリフは重要なので、渾身の無邪気でやってもらいたいです。音楽にセリフが埋もれがちでした。