世田谷パブリックシアター 世田谷区制85周年 『子午線の祀り』

 車の免許を取ると、私どもの田舎では(と、突然司馬遼太郎みたいだが)、関門海峡のあたりへドライブに行くというのが相場となっていて、壇ノ浦の、道の間際まで海のせり出している急カーブに差し掛かると、「出るよ平家の幽霊」「きゃー」と、必ず言っていた。すごく出そうなのだ。三角浪から立ち上がる、無数の白い腕が見える。時空を越えた怪談だ。

 翻って今日の『子午線の祀り』は、なかなか時空を越えない。客入れの間じゅう、波の音が聞こえ、アルコールランプの「なま」の生きている火がたかれ、ポンポン船の発動機の音がし、時々汽笛が混じる。この海辺から、一気に源平の浜まで飛ぼうというのに、喚起力が薄い。プロローグのセリフが難しいのかもしれない。

 平家の大臣殿宗盛(おおいとのむねもり=河原崎國太郎)の弟新中納言知盛(野村萬斎)。目の前で息子武蔵守知章(浦野真介)が討たれ、その仇を討った郎党も死ぬ。なのに知盛は「ふっと」生き延びてしまい、「非情のめぐり」を感知する眼を持つようになる。その眼を共にするのが影身の内侍(若村麻由美)という、知盛の兄弟重衡の思い者の女性だ。

 野村萬斎、見直した。声のよく出るすこし大仰な人と思っていたのだが、ここでは、私にとって切実に「平家物語そのもの」であった。美しい公達の、齢を重ねた顔に、敗亡を知って浮かべる苦悶の表情。アイリスやフリージヤが、咲いたまま透きとおってゆくような終わりの予感。

 知盛が鎧を二領つけて、海に沈むと、エピローグのセリフが始まる。プロローグと違い、今度こそ、海面が、小さな灯とともに盛り上がって見える。

 水主梶取の殺されっぷりに迷いがない。怪我がありませんように。