さいたまゴールド・シアター第7回公演 『薄い桃色のかたまり』

 1ミリのあいだに3本から4本の髪の毛を彫ったという江戸の浮世絵彫師、俳優のセリフ術にはそれに近いものがあると思う。細い線を出すだけでなく、強い線や柔らかい線、下絵通りにそれぞれを削り出していかなければならない。たいへんだよね。

 さいたまゴールド・シアターの俳優たちは、素人で玄人だから、「毛彫り」の玄妙さなどは思案のほかだ。まずセリフを聴く(大体聴けている)、それからセリフを言う(大体言えている)。例えて言うなら、丸刀(彫刻刀ね)一本で全てを彫る。微妙な影はつかないが、丸刃をこつこつと、また一息に扱ううち、不思議なことが起きる。太いぎこちないその線が、芝居の結構を大きく見せてくるのだ。細い線を瘠せたものに思わせる。むしろこちらのセリフの方が、肉厚で、役の内面をよく語り、丸刃を操る老いた身体の重みを感じさせ、世界を重層化する。全員で踊るダンスシーンには、一人として音楽に「入ってこられてない」俳優などいず、皆、楽しげに踊れている。

 添田家の主婦真佐子(上村正子)が家で作りだす「パエリア」の何となく唐突な可笑しさ、「夫婦なんてみんな変態だ」という言い切りの滑稽さ、大きな喪失のかなしみの中の、小さな笑いを笑っているうちに、いつの間にか芝居は桜の花びらを船にして、前後にすべるように動き出し、今の「い」と今の「ま」の間合い分の空をおちて、「確かに今だったね」と私たち観客に言うのだ。(ほんとに今?)という問いを、中に隠し持っているけれど。

 死や理不尽を背負ったイノシシ(中西晶)たち、隣駅までしか来てない線路、復興本部、パエリア、パエリアを食べた男(内田健司)と食べなかった男(ハタヤマ=竪山隼太)、訪ねてきた娘(ミドリ=周本絵梨香)、こうした生々しい物語がしっかり留めつけられたのは、あの丸刀の、武骨な彫り口が誠実だったからだと思う。