ヨーロッパ企画第36回公演 『出てこようとしてるトロンプルイユ』

 「ウィー」

 ジャン(本多力)、ブルーノ(諏訪雅)、アントニオ(石田剛太)が大家(中川晴樹)に返事をするとき、声を合わせてこういうのだが、これがフランス語に聞こえず、すごく可笑しい。

 幕開きと同時に伽藍の鐘の音がし、大家はダリ髭を生やした茶髪で、舞台はどう見ても『ラ・ボエーム』みたいなパリの貧しいアパルトマンなのに、ずーっと半信半疑である。

 どうなってんの?ほんとにパリか?

 そんな観客の心の声にはお構いなしに、三人の売れない絵かきたちは、払えない家賃のカタに働き、死んだ画家の荷物を捨て始める。

 一人の画家が、生涯かけてつくりだした絵を全て捨て去る、それは心削れる業(わざ)である。そして、捨て去られる絵と、その絵を描いた画家の側には、死んでも死にきれない、執念と業(ごう)が立ち上がり、その妄執に絵は「出てこようとしてる」。

 そしてその顛末はレイヤー(階層)を成し、層になった片岩のように固まり、少しずつずれながら膨張して宇宙を構成していく。っていう「業(わざ)と業(ごう)」の話だと思った。

 そんなむずかしい話が、おもしろくたのしく「でてこようと」する。ただ、逆に言うと、おもしろくたのしく「むずかしい」ために、飽き飽きするほど反復しなければならない。ここ、どうなのか。繰り返すやり取りにもっと緊密さと緊張がないと、「おもしろくたのしい」が緩んでしまう。

 最後にセットに目をやると、そこはやっぱり「パリ」じゃなかった。斜めの壁、羽目板の屋根、一見して全体を掴むことのできないアパルトマン、窓の桟が昭和の住宅のように細いそれは、いまここ、どこかに魔を潜めた「日本」のように思える。