M&Oplaysプロデュース 『流山ブルーバード』

 流山で近藤勇が、とか得々と言い出す人間は、永遠にこのコミュニティには入れない。地元、地元の人間、地元のスナック、地元の魚屋、地元の友達、地元の不倫、地元の連続殺人。

 兄国男(皆川猿時)の鮮魚店で働く高橋満(賀来賢人)の体には、「地元の」と書かれたたくさんの付箋が、びっしり貼りこまれているみたいだ。だけど本人には自分のその重さがわからない。満の仕事や恋や服は、ちょっとずつずれている。セーターに目に沁みるような白のTシャツを合わせるところは都会的だけど、セーターはださい。真ん中に赤の縦線、それをグレーが取り囲み、その外側は黒だ。赤いパンツの黒いチェック。賀来賢人は輝くようにハンサムで、それが時々邪魔にもなり、芝居の助けにもなっている。観ている観客としては、場面が進むにつれ、満にはどす黒い、濁った顔色にもっとなってほしい。なにかが欠落しているといわれて彼はくらい顔をするが、その「表情」の氷山は外側に向けて崩落している。ぜひ内側深く、ガラガラ崩れ落ちていって。要はここ、「見せすぎ」「足りない」ってことだよ。

 この芝居は一月の『世界』と双子のように似ている。満と殺人犯らしい伊藤和彦(柄本時生、好演)が、双子のような存在であるのと同じように。

 どの人物も、「よくいる」(ありきたりの)人間かもしれないが、ありきたりを越える迫真性、内実を持っている。それはそれぞれの役者に固有のもので、顔にくっついて取れなくなった仮面のように、何かちょっと恐ろしくて、おもしろい。世界から浮いてる感じと絶望がない交ぜになった平田敦子の黒岩順子など、とても新しい造型だと思った。『世界』に比べて、「みんなさびしい」などといってしまうのがすこし残念だけど、いい芝居だった。