シアターコクーン・オンレパートリー2018 『プルートゥ PLUTO』

 ホース、操作盤、コード。今日は最前列、緊張しちゃうなあ。車輪、基盤、スイッチ、扇風機のガード。舞台前面にしつらえられたがらくたの、さまざまを眺めわたす。トルソー、えっ、マネキンの足の先。思わず席から立ち上がってしまう。下手の端の瓦礫から、ロボットの手が二本、空に向かって伸びている。灰白色の瓦礫の中に仕込まれた小さな蛍光灯が、ところどころで光る。確かにここにあるものは「がれき」で「がらくた」なんだけど、観ているうちにみなそれがロボットの顔に見えてくる。この悲しい感じ、これは皆、死に、壊れ、打ち棄てられて「悲しんでいる者たち」なのだ。

 前回の初演と一番変わったのは、芝居全体の「悲しみの総量」が増えていることだと思う。アブラー(吹越満)のちぎれた腕、悪夢で目を覚ますゲジヒト(大東駿介)の眉宇に漂うしっとりした悲しみ。ゲジヒトの妻ヘレナ(土屋太鳳)の第一声、「だいじょうぶ?」にこもっている悲しみ。ゲジヒトとヘレナが自分でもそれと知らずに悲しんでいるので、マニピュレーターがロボットである二人を操作するシーン(背後に一人両脇に一人ずつ三人のダンサーが細かく手に表情をつけて、ロボットの動作を指令し、ロボットたちはそれをなぞって自然に腕を動かしたり視線を遠く飛ばしたりする)も、何だか悲しさが倍増しである。悲しさはペッパーや花売りのアリにも貼りついていて、憎しみを動かす導火線となり爆薬となる。諸悪の根源であるようなMrルーズベルトにも悲しさがあることが暗示される。彼も悲しさの環の一部なのだ。憎しみの連鎖は、表裏一体でこの環、瓦礫とつながっている。アトム(森山未來)は瓦礫を拾い上げ、墓標をつくる。そこには何か希望がある。それは、あなたの悲しみを忘れないということだろうか。