めぐろパーシモンホール 大ホール 『柳家小三治一門会』

 迷い込んだことはあったけど、来たことはなかった「めぐろパーシモンホール 大ホール」、『柳家小三治一門会』です。

 2月の終りの寒い夜、高齢者が多くて、服装とぜんぜん合わない帽子をかぶっている人を再々見かける。パーシモンホールの吹き抜けの「プラザ」っていうエントランスには、椅子がほとんどなく、みな開場をじぃっと待っている。年取ると会場に早くついちゃうし、小さいカフェは満員、こういう時、裁量で開場早めたら?「合わない帽子」は「本当の高齢者」のサインだよ。

 ホリゾントの青が緑に変わり、その前に六曲二双の屏風と高座、下手からなにか運動部みたいな若い人がずかずか歩いてきて高座に上がる。この人は柳家小ごとさん。小三治さんのお弟子さん(一琴さん)のお弟子さんだ。ご隠居と八つぁんの会話にすぐ入る。この二人の会話不穏だな。八つぁんは何かご隠居に含むところがあるみたいに聴こえる。小ごとさんはご隠居がとても上手、軸がぶれない。八つぁんと切り替わってもご隠居のゆっくりしたこせつかない様子がよく出ている。あと「書画」の鼻濁音がはっきりしていた。小三治さんが鼻濁音に厳しいからなあ。

 次は柳家はん治さんで、座布団に小さく座っておじぎする。日野高校三浦友和の三級後輩。つまり清志郎の三級後輩だなー。

 噺は「粗忽長屋」。これとっても難しいと思う。現代的だから観ている方のハードルあがっちゃうもん。人だかりの足元を潜り抜けて、行き倒れのそばまで行き、世話役と言葉を交わしているあいだに、下の方から「死の気配」がしてほしいとか思ってしまう。「死」と「日常」のフォルムが入り混じり、くるっとひっくりかえって「不条理」になるのだ。菰の持ち上げ方がリアルでよかった。「おまえは 浅草でもってなー 死んでるよー」ってせりふが、今書き写していても、笑うなー。

 仲入り、それから、柳家三之助さんが「お運び様でありがとうございます」とあいさつする。なんかコンパクトで素敵な挨拶だ。「半ちゃん一つ食わねえか」ではじまる半公のもてた話。劇場や桟敷、絹布の三つ布団はありありと現前化するんだけど、こみあった床屋の待合が、も一つ見えない。髪結い床ってものが、もうわかんないもんね。半公がいちいち、女にかっこいいセリフいう所が面白かった。あそこで、(あれ?)っておもうもん。

 柳家小三治、本日のトリ。「柳家小三治一門会」っていうから、落語家がもっとたくさん出るのかと思ってどきどきしていたけど、これで終わり。昨年のパーシモンホールはどうやら小三治さんの出演キャンセルだったらしく、そのお詫びから始まった。お詫びが爆笑。おそるべし。

 『柿の木坂の家』という1957年のヒット曲を歌い、仙台でB29が焼夷弾を落とすのを見ていた話(戦いたくないよ)、一里という物が遠いという話、そしてお茶を飲む、これらが縄のようにより合わさってて、悲しくて怖くておかしい話。昔見た『浮雲』って映画で、岡田茉利子が新聞記事になってるとこでとっても笑ってしまい、名作ってすべての要素が揃ってるんだなあと感心したけど、それに似てる。そして、むかしの話なんだけど、ちゃんと今なんだよね。

 「あれー三州屋さんひっこしたのけー」と、思う今日の『馬の田楽』。こないだと、間取りが違うような気がする。今日、馬方の太十さんの前方から三州屋のおじさん来なかった?大根畑は後ろじゃなくて前にある。いろんな変化があるから観客もうかうかしていられない。

 今日の子供は昨年より元気そう、馬の腹の下を「抜けられた。」と会心の笑顔でかわいい。馬の毛を抜いて、「あきになったらこれでえーと、」とちょっとなってたけどあの笑顔で帳消しだ。馬が逃げてしまって田の草取りを休んだお百姓と交互に話すところが、スイッチがついているように入れ替わっててすごい。

 次に行くとき、噺は何だろう。『馬の田楽』だったりして。