三越劇場 『新派百三十年 六月花形新派公演 黒蜥蜴 全美版』

 なぜ突然着替えるの明智喜多村緑郎)?とか、1ミリも考えない。

 芝居が走っているからだ。その速度は、ジャック(市村新吾)の思い切ったツーブロックの髪や、一寸法師(喜多村一郎)の入念な青いメイクや立ち廻り、殴られてそっと鼻血を出す新聞記者郷田(児玉真二)、エナメルの光るハイヒールブーツを履きこなす柏原春(伊藤みどり)の覚悟からきていると思う。

 初演の時から大幅に脚本も変わった。雨宮の秋山真太郎のキャラクターには芯があり(冒頭、仮面を飛ばして戦うシーン怖いけどかっこいい)、「歌う警察官」波多野十三郎(今井清隆)の上手すぎる歌が、観客を異世界に連れ去る。どんな小さな役にも工夫のしどころが用意され、誰もが台詞を言いやすくなっている気がした。

 春本由香、品のあるお嬢様で、もしかしてピアノのショパンは自分で弾いてたかもだが、せっかく幸せと不幸をめぐる面白いシーンを用意されているのに、生かし切れてなく惜しい。「泣く」「泣き声」にもっと敏感になったほうがいい。ほんとに悲しい時どんなふうに泣くの?

 明智小五郎と黒蜥蜴(河合雪之丞)は素敵なカップルで、拮抗している。離れあう磁石のように、裏では強い力でひきつけあっているのだ。河合雪之丞はとても美しく、手にしたレースのハンカチなど「手巾」と書いてルビを振りたいほど決まっている。ソファが海に放り込まれるとき、その音を予期する緊張、聞いたときの竦む心、聞いた後のテンションの違いなど、すばやい細かさ、繊細さが欲しい。とにかく、芝居はものすごく面白くなっている。黒蜥蜴が眸をめぐらすだけで拍手が起き、明智が白い歯を見せて満場がため息をつくまで、あと一歩だ。