さいたまネクスト・シアターゼロ 『ジハード ――Djihad―― 』

 始まる前に配られた紙に、登場人物の辿った道の地図がある。

 ブリュッセルイスタンブールイスタンブール―キリス―アレッポ―ダマスカス。なじみがあるようでないこれらの地名の中で、一つだけ、ぴかっと光って感じられるものがある。シリアのアレッポだ。市街戦の起きた街。(石鹸の町。)三人の若者イスマエル(堀源起)、ベン(竪山隼太)、レダ小久保寿人)は、ジハードに加わり、これらの街を通って、銃を抱えて彷徨する。ゲーム(コール・オブ・デューティ?)とはまるで違う不条理な戦争なのだ。敵を一度も見たことがない。パイロットのいないドローンが爆発する。

 あら?どうしたんだろ眼がと思っているうちに涙が目尻をつつーと流れ、さまよう若い者に心を動かされたのだと気付くのである。

 蛇口を閉められてる。暴発する人たちって、そういうことなんだなと思うのだった。システムから無視されている。宗教や家族がプレッシャーをかける。恋人や生きがいを奪われたのが、引き金になる。ジハードを巡る重い、つらい話が、おもしろく、軽いタッチの台詞で仕上げられている。

 だがこれが、真摯でまじめで立派な芝居になってしまっているのだ。三人、いや鈴木彰紀も入れて四人ともが楷書の芝居で、遊び、軽さが薄い。立派なの。特に前半、笑いの呼吸――軽く受けたり、食い気味に台詞を言ったり、全く同じように台詞を繰り返したりする緩急がついてない。立派というのは皮肉ではなく、いい表情、いい演技がたくさん見られるのも事実だ。

 アフタートーク、親しいかもしれないけど、観客の前では役者を「さん」「君」づけで呼んでほしい。イスマエルの波乱万丈の次作、『地獄』ってどうなるのかな。