劇団青年座 第233回公演 『3組の夫婦による ぼたん雪が舞うとき』

 原発から30㎞離れた町、地震原発が壊れ、コンクリートの建物の中にいるようにという指示が出ている。夫(横堀悦夫)と妻(津田真澄)はほかに選択肢もないらしく、木造モルタル築30年の自宅の、いちばん奥まった子供部屋に避難する。夫は片耳が遠く、妻は心筋症だ。一人娘はフランスにいる。一見元気そうな二人が、目に見えない不気味な災害に押し流され、恐ろしくも美しくも見える孤独の中を漂う様を描く。

 横堀悦夫津田真澄、どちらも言葉が浮かないように細心の注意を払っていて、好演している。最初の「あいたっ」っていうのがちょっと痛そうでないのと、体を動かすときに柔軟ばりばりやってますというのが匂う以外、気になるとこはない。優しくかなしく怖い芝居である。

 妻は古いアルバムを見つけて夫の両親に思いを馳せ、自分たちの来し方を振り返り、娘や孫の将来を想像する。原発事故の死の影との対比の「生命」、これがこの芝居の落としどころになっているみたいなのだ。しかし、私には子供がいないせいか、ここ、引いた。それはある人の家を先輩が訪問した時、子供たちのコーラスでもてなした、という話を聞いたときの(うひゃっ)というかんじと似ている。この疑いのない感じ。臆面のなさ。スコップを地面に入れたらすぐに岩にあたってしまったような手ごたえ。死と並列されてるからいいの?誰もが皆納得する。異論も唱えられない。だけど、ほんとにそんなことをそんな風に言いたいのか?疑問に思った。

 見えない恐怖に狎れていくところが、もっとデリケートに描かれていたらよかった。あと倒れたキューピー人形の頭が、なんだかセクシャルに見えたけど、いいのかな。