ハイバイ15周年記念同時上演 『夫婦』

 幸福な家庭は似通っているが、威張ってるお父さんというものは、もっと似通っている。

 と、驚嘆の念でいっぱいになって家へ帰ってきた。どうしてあの人たちってローソクで勉強した街灯の下で勉強したって言いたがるのかしらねー。立派な仕事をしている/嫌な仕事をしているって子供にかずけるしねー。

 食台、テーブルが弱肉強食、食物連鎖の三角形を成して組みあげられている。家庭が食(お金)を基本にした集合であることや、生から死、のぼりつめても最終的に死んでしまうことを象徴しているのだろう。上部のテーブルに白地に赤の十字のものが見え、赤十字や神を連想する。洒落た和風の照明が三つさがり、それが全体に宇宙的な広がりをもたらしている。重ねたり、並べたりした食台の合間を抜けたり、テーブルの上を渡ったりしながら芝居は進む。ともすれば散らかった(岩井によればスライムのような)乱雑な空間で、虐待やら手術やら会話やらが行われるが、ひとり母通子(山内圭哉)がこの世界にきれいな水の流れをひきこんでいるように見える。山内圭哉の芝居は、全く重心がぶれず、糸で吊るした静まっている錘のようである。そのために「なにしたの」と訊くときには無力な感じがし、「でていきなさい」と迫っても逃げ場を奪うようには見えない。甘い。優しい。しかし、顕微鏡をのぞいていた若い時代と、主婦、老年になってからがちゃんと続いている。老年になっても何か娘らしさが匂うのだ。後半、後景で片足になってバランスを取って見せるところがあるが、通子はじつはやじろべえのように、この半分崩壊した家族の重心を取り、支えていたのだなと思った。小岩井(過去の岩井=渡邊雅廣)、もっとお父さん(岩井秀人)にがんがん迫りましょう。