ハイバイ15周年記念同時上演 『て』

 「あれどうしたの、顔すっきりしているよ」昨日『夫婦』を見て帰宅すると、家族がそんなこと言ったのだ。すっきりしたーめっちゃすっきりした、自分の中の一部が成仏したみたいにすっきりした。今日はその前段、ばらばらになっている荒んだ家族が、もう一度やり直そうと認知症のおばあさん(井上菊枝=能島瑞穂)の家に集まる『て』である。

 ここの家の父(猪俣俊明)は家族全員にほぼ平等に、立ち直れないほどの心の傷を負わせている。暴力、父はそれを愛情だという。殴るというのは、あれは愛情ではなく、「わかってくれ」という甘えである。次男の次郎(田村健太郎)は父に「百万くれ」という。この百万円は愛情が諦められない裏返しだ。愛、甘え、憎しみ、恨み、復讐が入り混じり、どこにも行けない家族はまじまじと顔を見合って大声で話をする。

 家族の再集合は二度語られる。最初は次郎の視点。それから母(浅野和之)の視点。「認知のゆがみ」という言葉を思い出す。鬱に陥る人は辛いこと、痛い記憶が強化強調されるというものだ。次郎と母の視点が働くことで、芝居は客観的になり、「悪者」や「悪い発言」という単純な理解から逃れることができる。太郎の平原テツ、母の浅野和之が、避けられず免れられなかった傷を最もよく表していたと思う。浅野和之、笑わせるシーンが巧みなので最初戸惑うが、父と別れ話をするところが凄い。ぐつぐつ煮えている。苦しみの声。生きながら焼かれた人のような声だった。

 私は『て』より『夫婦』のわけわからなさが好きだ。これ、ちょっと、理に落ちると思ってしまう。観ながら「泣くために泣く」なんか、いやなんだもん。