彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール 『大塚直哉レクチャーコンサート J.S.バッハ⦅平均律クラヴィーア⦆の魅力 ~ポジティフ・オルガンvsチェンバロ その1~』

 月~金朝6時からのNHKFM古楽の楽しみ』を聴いてる以外、私とチェンバロの接点はない。

 ――と、思っていたけど、よくよく思い返したら、一点だけありました。ホミリー(借り暮らしの)が、屋敷の客間のハープシコードチェンバロのことね)のうしろの羽目板の中に住んでいた「ハープシコード家」のことを言ってたよね。お茶に出るお菓子を食べ、やせてて、まあちょっと、気取ってる。

 クラブサンとかハープシコードとかチェンバロと呼ばれるこの楽器を、私は今日初めて見たのだった。ピアノよりはるかに小さい鍵盤楽器で、外側はマーブル模様の品のいいグリーン、傍に近寄ってみると、頑丈なんだか華奢なんだかわからなくなる。細い木の支えで上蓋が開けてあり、その内側にはクリーム色の地に美しい花と鳥が模様のように描きこまれ、古風な字体で製造年(1990)とラテン語の銘句が書いてある。「音楽は神の贈り物」「音楽は喜びの友、悲しみの妙薬」という意味らしい。

 調律師の人が一音一音確かめながらねじまきみたいなハンマーで絃をしめたりゆるめたりしていた。

 その隣に小さい小学校の教壇みたいなものがあって、あっさりした木の生地のうえに、金の豪華な西洋の唐草模様がほどこしてある。なにこれ?レクチャーコンサートだから演台?と思ってしまったが、この四角いものは「ポジティフオルガン」という、中にパイプを内蔵した立派なパイプオルガンだった。

 調律師が去り、下手のドアを開けて今日の演奏者で先生の大塚直哉さんが登場する。先週の『古楽の楽しみ』では鈴木優人さんと二人で「チェンバロ男子」の対談をしてたなあ。真面目な人という印象だったが、全身黒、黒のシャツに黒のジレ、黒のパンツに光るエナメルの黒の靴と隙がない。黒王子やん。かっこいい。お辞儀をするとマイクを持って、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」についてすぐ説明を始める。

   バッハの  平均律  クラヴィーア   曲集

なに?かっこいい、なんていうかこう…すらすらっと口に出すと「ハープシコード家の連中」になったみたいな、今日は客間でスコーン食べましたみたいな、すてきなかんじ。と同時に「平均律」って言葉が硬くて、わからなくて、ああそれなら、私台所でホミリーと何かお腹にたまるもの食べるんで、もうよございます的な気持ちも来る。

 大体平均律って何?1オクターブを均等に周波数で割って出す音階らしい。でもバッハはそんな風に厳密なものを言ってないと大塚先生は言う。

 Wohltemperierte            というのは丁度いい加減の温度、というとき、ワインや湯加減に使う言葉で、12の音をうまく塩梅する、気分をなだめるというような意味がある。これはバッハの野心作で、何重ものかけことばになっているらしい。

 第一巻第一番はハ長調。メロディがなく伴奏譜のようだから、グノーがずーっとあとで旋律を書いた。「アヴェマリア」。有名だよね。それはバッハの意図がわからず一小節足した譜なんだって。まずオルガンで弾く。ちっちゃい学校のオルガンみたいな見かけから、湯気のような優しい音がする。ぶわわわと途切れて聴こえる低い音。肺の奥のような音。旋律の追いかけっこが始まる。淡い影踏みみたい。オルガンて鋭い音とか出せないのかも、となんかちょっとその性格に悲しさを感じる。ハンスのことが好きな自意識過剰のトニオ・クレェゲルとか思い出した。

 今度はチェンバロで同じ曲を弾いた。鮮やか。オルガンが内省的な感じがするのに比べて、チェンバロって主人公ぽい。オルガンは音が減衰しないけど、チェンバロはキープするのが難しいそうだ。はかなく消えてゆく華麗ではなやかな音。

 ハ短調の説明をするとき、チェンバロで、「パルティータの2番」だのこれこれだのといって、立ったままちょいちょいっと冒頭部を弾いてくれるのだが、もうそれが、手抜きのない真剣な数小節で、呉服屋さんが豪奢なうちかけをちょっとみせて引っ込めるみたいで、「あのそれが」いいです、と言いも果てぬうち次のうちかけが来るような感じだった。

 オルガンは高い音をすっぽ抜けにしないのむずかしそうだな。曲の合間に、何度も調律師の人が来て、調整する。フーガの中には旋律が二つ入ってたり、三つだったり、三声といっても六声のときもあるそうだ。

 そうだ、一曲が「プレリュード」と「フーガ」で出来ている。プレリュードは前奏曲、フーガは遁走曲。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は1巻に24曲おさめられ、すべての長調短調の曲がある。

 とても速いむずかしいところを、大塚先生は普通の顔で弾く。CDとかでこの曲集ききかじっているから、同じ旋律がいくつも浮かび上がってきた後、(ああーあの速いとこ来る)と、聴きながらスリリング。音楽っていろんなこと言う。言えないことや言わないこと、言うのを忘れていること。などと思う。

 この曲には「かえるのうた」が入っていますよと言って弾き始めた曲は、もう、カエルの歌にしか聞こえないし、楽譜の中に十字架が潜ませてあったり、バッハにはいろんなことができて、いろんなことをして見せたんだなと思った。

 チェンバロを聴くと、音の林に迷い込む感じ。旋律が、かぐや姫の竹のように光って見える。絵巻物みたいな景色なのに、大塚先生は淡々と、すいすい弾いていく。一曲ごと、大塚先生は丁寧なお辞儀をする。あと、「Nr.6 in d-moll」のようなことを一息に言うのが音楽家らしくてかっこいい。3時間のコンサートだったけど、12番のチェンバロを聴いたとき、(これは今日チェンバロで弾いてくれなくちゃね…!)と思うくらい素敵だった。

 演奏を聴きながら上蓋をながめていると、違うとわかっているのに、「音楽はあなたがたの内側にあります。」と書いてあるような気がしてきちゃうのであった。冒涜かなー。