Bunkamuraザ・ミュージアム 『国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア』

 トレチャコフ美術館展。どの所蔵品の上にも、パーヴェル・トレチャコフの信条のようなものが、うっすらかかっている。なんだろ、時代思潮ぽいものかなあ。それが絵を皆ロマンティックにしているような気がする。「衒いのない国土への愛」「疑うことを知らない肯定感」かな?

 それはとてもラフマニノフっぽい。ラフマニノフのピアノ協奏曲など聴いていると、赤ワイン色のロマンティックがピアノと一緒に滴っていて、時々気恥ずかしくなるくらいだ。

 収蔵品の中には優美なロマンティックを突き抜けてくるものがあって、その白眉と言えるのがクラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」または「見知らぬ女(ひと)」と呼ばれる絵だ。

 「カキワリです」と言わんばかりにうすーく描かれた街の風景の中に(霧だって)、女は突如出現する。厳しい筆致、精妙な描写。女の、おそらくコートとおそろいの、裾の方でしぼられた丸い帽子の裏打ちは豪華な金色で、表地は天鵞絨だろう。涙型の大きな真珠のついたピンは金製、黒を引き立てるオーストリッチの羽根が泡のように白くたなびいている。襟元を飾る差し毛の毛皮はコートの前立てと袖口にもあしらわれ、透ける薄い手袋のように見えるもので覆われた手は毛皮のマフの中だ。濃紺に光る繻子の巾広リボンはマフだけでなく女のあごの下にも大きく結ばれている。

 天鵞絨、羽根、毛皮、繻子、すべすべした頬、睫毛、唇、ぴったりと体の線を出すよう仕立てられた服、それだけではない、上等の革のシート、ラッカー塗りの馬車、すべてが触感で溢れ、こういっている。《私に触って》。

 画家の高度な技量は、それをみるものに訴えかけた後、あの沈んだ眼差しを捉え、微かにうるんだ眼のぽっちりした薄い涙を描き添え、女が絵の全て、世界の全てを裏切っていることを示す。《しかし誰にも私に触らせやしない》。

 疑いのなさや衒いのなさは、ここでこの女のこの眼差しに、撃たれているなと思うのだった。だけどこの眼差しもまた、「ロマンティック」に回収されてしまうけどさー。素晴らしい絵でした。