PARCO STAGE  『豊饒の海』 (プレビュー)

 三島由紀夫の「ザ・俺」。よくある大河小説のように「自分」のキャラクターを細かく割って大勢の人間をつくりだし、同時代を生きる群像劇に仕上げるんじゃなく、「りんね」の形でキャラクターが桂馬のようにぴょんぴょん跳ねる。繊細で複雑なのさ。

 とってもよくできている。長田育恵は三島の影に溶け込み、いつの間にかそっと三島の服を着て、影法師もろとも三島を動かしているようだし、演出の、死を挟んだ見つめあう恋人のシーンの劇的緊張と言ったらない。(その頂点の後の弛緩はちょっとがっかり)

 手前へ少し傾いだ杉の木の舞台には橋掛かりがつき、しゃっと音を立てて客席出入り口のカーテンが閉まる。払い落とすように雑音が消えていき、集中だ!と思ったところにアナウンス、えー。そういうのよくないよ、でももう始まるね、と、気を取り直し、激しい水の音、そして

 「またあふぜ。」いえてないだろ。松枝清顕(東出昌大)、こんなに美しいのに、台詞ちゃんと言ってほしい。それは本多繁那(首藤康之)の「自死」という台詞や、叫ぶ安永透(上杉柊平)も同じだ。二度見三度見する現実ではないような美しい男の人たち、脚本も演出も成功しているのに、台詞きっちりいうこと出来ないのか。それだけでこの芝居成功しちゃうのに。特に東出昌大、前半の所作(お辞儀)や表情が大袈裟。映像の続きのつもりでもっと自然にお願いします。宮澤氷魚は「台詞をちゃんという」ことに自分を特化していて、確実な感じがした。その点で大鶴佐助に一日の長がある。この話ってさ、「本多物語」だもんね。ない愛よね。神野三鈴、芝居をきちんと締めている。初音映莉子、まえより良くなったけど台詞頑張ろう。笈田ヨシ、「いっすん」、びっくりした。