日生劇場 音楽劇『道 La Strada』

 ゾーイトロープ。切れ目を入れた黒い筒の内側に、すこしづつ動いている物を描いた絵を丸めて入れ、くるくる黒い筒を回すと、中の絵が動き始める、映画の先祖だ。ホリゾントの黒い雲と白い雲が、透き間に見える青空を、すこし、ほんの少し、気のせいぐらいゆっくりと動いてゆくような。これ、ゾーイトロープだねぇ。でも、『黒蜥蜴』の演出と、似てるねー。空の下にちゃちな円形の座席が四段続き、これが舞台を囲むのだろう。上手と下手にさびしく電飾をともした登場口が二つある。舞台の座席に本物の観客が入り、客席のざわめきが大きくなる。裏側の収納が見えているサーカスの古ぼけた二重。湾曲している。客席の向こうは、海なのかなー。空は悠久、その下をしょぼいちゃちな時間が流れる。悠久とちゃち、現実と虚構は一つのもの、ただ、ゾーイトロープの速さが違っているのだ。

 「ザンパノが、アンソニー・クインじゃないけど、ザンパノだわ。」と思うくらい、草薙剛はザンパノ、粗暴で考えることを止めている力自慢の大道芸人に没入している。ジェルソミーナ(蒔田彩珠)は、頭が足りない感じはしないけど、声に汚れがなく清純で(この時点でジェルソミーナをほぼクリア)、嬉しいおまけとして感情に嘘がなく、すべてに集中を切らさず芝居が連続していた。それからイル・マット(海宝直人)は軽やかに、口の立つ綱渡り芸人を演じる。三人ともなんも問題ない。問題は関係だよねー。やり取りに微妙なニュアンスが足りない。隠された愛や奪われた希望、考えるのを止めている失望、それらが欠けております。ザンパノは芝居の幅が狭く、ジェルソミーナは哀しさが足りず、イル・マットは流暢すぎる。デリケートにね。楽器を自分で演奏しないところ、すこし場内から笑いが漏れていました。