劇団東京乾電池アトリエ公演 『授業』

 教場で説明している先生って、しーんとした中、自分の声が響くのを聴きながら、「意味わかってる?通じてる?」って不安な時があると思う。その不安のピークの状態を、イヨネスコは舞台上に意図的に作り出す。

 「数」というもの、その概念が、生徒(安井紀子)に伝わらない。教授(柄本明)は必死になってマッチ箱(架空)や黒板(架空)を使い生徒に説明する。(生徒は紺の丸首のワンピース、白いリボンが首回りを一周し、胸の前で蝶結びになっていて、後ろに白いウェストタブがついている。腰のあたりに左右一本ずつタックが取ってあって、すごくかわいい。すごく似合ってる。戦前のモガのよう。)

 コミュニケーションの不全。教授は質問し、生徒は答えるが、問いと答えは何光年も隔たっている。「意味」が雲母のように剥がれ落ちてゆく。このかみ合わないやり取りの、教授の熱狂(熱心)と生徒の歯痛(不熱心)は、私たちに全く別の事柄を想起させる。

 …はずなのだが、この『授業』ではそこがさらっとしている。「歯が痛い」はさ、「恐怖と苦痛」と、「うっとり」が見た目(男から、或いは犯罪者から)区別がつかないってところが大切。「苦痛」(或いは「恐怖」、或いは「うっとり」)は、自分にもっと集中しないと。「柄本明の台詞の糸」「台詞の調子」に乗せなくていいよ。「痛い、歯が〇」と息抜かないほうがいい。緊張が続かない。

 各国語の台詞それぞれ違うように柄本明は言うけど、同じ方がいいのでは?生徒と同じく昂進していく集中がいまひとつ。

 初演(?)で省かれた腕章シーンあり。母みたいなマリー(上原奈美)好演。

 強烈なディスコミのなかで男が女を征服するっていう昔話、いや、そうとも言えない、ナチスが昔話と言い切れないように。