パルコ・プロデュース2019 『母と惑星について、および自転する女たちの記録』

 とても優れた戯曲を、とても優れた演出で描く母親の呪いと祝福の物語である。

 奔放な母峰子(キムラ緑子)の3人の娘は、峰子の遺灰を携えてイスタンブールへ旅に出る。母と、その周りを惑星のようにめぐる娘たち、破天荒な母親はまたその母から呪いと祝福を受けていた。

 母の呪いと祝福は、反転しながら顕れる。「あんたはブスだ(かわいい)」に始まって「賢い(頭が悪い)」へとつながり、「私に似て」「私に似ず」が締める。「碌でもない子ができる」と脅されることだってある。その呪詛と祝福からの離脱が、この脚本だとすーごく早くできちゃうんだねと思わないでもない。神、原爆を遠くに抱える長崎弁が演技のリアリティを助ける。背景のスクリーンが、母の寝る夏蒲団のようにも思えた。もっと面白くなるやりとりなのになあと端々を残念に思うが、田畑智子が(鈴木杏が、芳根京子が、)長崎のお姉さんに見えるとっさ。

 三女シオの芳根京子は、演劇的腕力という見地からいうと、ほぼゼロに近い。声は割れ、「父親にそっくりの」その立ち姿は頼りなく、ひょろひょろした草のようだ。

 ところが、2幕のキムラ緑子(好演)との対決シーンでの集中力、見捨てられたように泣き声を上げるその真率さと、「演技する」ことに捧げられた魂(その魂を支える細い腕が、真率さの重さにふるふる震えている)が素晴らしい。(そして峰子に向かって母の男の秘密を告げる時、シオの頬は赤く染まる。)泣き声は演出のミザンスを「まちがってる」と思わせ、酒を飲む鈴木杏の脚本の設定も「ちがうね」と否定させるくらい、時空を串刺しにする。田畑智子、叱りにくいよね。一考の余地がある。いいものをみた。