シアターコクーン シス・カンパニー公演『LIFE LIFE LIFE ~人生の3つのヴァージョン~』

 おや?幕開け、子供を寝かしつけるアンリ(稲垣吾郎)の息が浅く、弱い。息が浅いと、次に続く妻ソニア(ともさかりえ)の台詞をまたいで続くアンリの感情がぶつ切りになってしまう。ええと、直線の並縫いの運針の感じね、針が布に潜っていても、糸は続いてなくちゃ。実はこの息の浅さが、弱気で落ち込みがちの1話のアンリを表わしていることがわかってくるが、「子供を寝かしたい」という糸が、息の浅さで見失われているよー。

 特にこの1話目、錯綜する筈の4人の糸が、ぜんぜん錯綜しない。アンリと所長ユベール(段田安則)の上下関係や共犯(?)意識、ユベールが妻イネス(大竹しのぶ)をいなすやり方、専業主婦イネスとキャリアを持つソニアの子供を巡る微妙なやり取り、アンリとソニア、ソニアとユベール、糸が続かない、声のトーンが安定しないためにいろんなことが見えてこない。ここ、めっちゃ大切なのに。この芝居、3話の「もしも」じゃないもんね。これ、三重の球体、三重の宇宙なのだ。しかも、どれが一番小さくて内側かがわからない。互いに包摂しあう構造になっている。例えば、誰かを表立って批判する空間があれば、それが行われない空間もあり、一方に「浮気」を隠している空間があって、他方に「浮気」の種があり、又全然ない空間がある。この3話は「17日に滞りなく行われたホームパーティ」から生まれてきたに違いない、ピカソ肖像画のような(たぶん平坦にすれば)、ひっくるめて一つの、同時の出来事だ。

 ストッキングの伝染のように綻び続け、微妙な差異で片方を呑み込み、或いは呑み込まれる宇宙を、もっと繊細に演じてほしいです。トーンを大切に。糸を切らないで。パンフレット(表紙入れて16葉)1000円、お買い得。